臨時列車
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JRの臨時列車の運行計画は原則として1月・5月・8月・10月の年4回、全社一斉に発表される。なお、臨時列車運行上の「」は3 - 6月[2]、「」は7 - 9月[3]、「」は10 - 11月[4]、「」は12 - 2月[5] であり、6月は春に、9月は夏に区分され、春が4ヶ月間となる代わりに、秋が2ヶ月間となっている。

国鉄時代は不定期・季節列車には運行時期が一定の繁忙期に指定されたものがあり、時刻表での案内で「運行期日A」・「運行期日B」が表記された。この時期区分は期間は異なるが、快速急行→急行を含む東武日光線特急小田急ロマンスカーでも採用している。

なお、九州旅客鉄道(JR九州)は、「ゆふいんの森」の1年分と「A列車で行こう」・「海幸山幸」の半年分の運行日程をまとめて発表している。

また、通年にわたり定期的に運転される臨時列車も存在する。

例えば、寝台特急カシオペア」や「トワイライトエクスプレス」では、所定の編成が少ないため定期列車として運行できず、曜日を指定して運行していた[注釈 2]

毎日運転されていながら臨時扱いという列車もある。代表的な例として「リゾートしらかみ」(冬季除く[注釈 3])、新高岡駅停車の「かがやき」が挙げられる[6]

また、旅客需要を調べるため長期的に臨時列車を毎日運転する路線がある。

過去には、1970年代では高度経済成長を反映して定期列車だけでは需要に追いつかなかったため、増発という名目で「雷鳥」や「みどり」など、特急列車の「毎日運転の臨時列車」が設定され、当時の臨時列車の号数であった50番台に対して70番台の号数が充てられた。なお、これらの列車は次回のダイヤ改正で定期列車化された。

また、九州新幹線の部分開業時にも、需要予測の不確実さを踏まえて、一部の「つばめ」・「リレーつばめ」が臨時列車として設定されたが、予想を上回る需要に支えられて毎日運転のまま推移し、開業から1年半ほどで定期列車に組み入れられた。

これを全国規模で実施した例としては1985年3月14日国鉄ダイヤ改正で登場した「α(アルファ)列車」があった。

2015年3月14日現在では、奥羽本線・弘前駅 - 大館駅間の日中に毎日運転の臨時普通列車[注釈 4] と陸羽東線・鳴子温泉駅 - 新庄駅間の21時台の臨時最終列車が設定されている。

東海旅客鉄道(JR東海)管内では、三重県内の一部路線の臨時列車と美濃太田発多治見経由名古屋行き「ホームライナー太多」(いずれも列車番号は8000番台)は、2009年3月14日の改正で定期列車に統合された。九州旅客鉄道(JR九州)でも、2009年3月13日の時点で設定されていた毎日運転の臨時列車(平日のみを含む。列車番号は8000番台)のほとんどが、翌14日の改正で定期列車に統合された。[7] この改正では、宮崎空港線南宮崎駅 - 宮崎空港駅間と鹿児島本線の市来発川内行きの臨時列車が設定されたが、2013年3月16日の改正で定期列車に格上げされた。

営業列車ではないが工事列車回送や資材を運ぶ配給列車などが「毎日運転」の臨時列車として多数設定されている。現場の判断で弾力的に運転、運休が変更できるほか、日によって運転方向が異なるといった条件を吸収するのに都合がよいためである。

ただし、平日と休日などで異なるダイヤを組む場合には、平日のみ・休日のみ運行される列車などについても定期列車に分類する。
列車番号について

国鉄では列車番号のうち、6000・7000番台を季節列車、8000・9000番台を臨時列車に割り当てていた。民営化後は列車番号の管理方法が変更され、事実上8000番台が季節列車(予定臨時列車)、9000番台が臨時列車(設定臨時列車)となり、6000・7000番台を使用していない会社もある。JR九州では6000番台も定期列車に割り当てている。

なお、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に伴う暫定ダイヤを実施している路線でも、2012年3月16日までは7000・9000番台を使用していた。仙石線の陸前小野駅矢本駅 - 石巻駅間においては、全線復旧前日の2015年5月29日まで7000番台が使われていた。

過去には、以下のように割り振られていた。

戦前は1000番台を不定期列車に割り当て。

戦後は1000番台が連合軍専用列車に充てられたため、2000・8000番台を割り当て。2000番台は当時の車両や燃料の不足を反映した運転日を未定とした列車で、後に車両・燃料事情が好転してくると定期列車に格上げされるようになった。8000番台は復員列車に充てられ、原則は毎日運転で一般乗客の利用も可能であるが、復員船入港により復員輸送の必要が発生した時は一般乗客の利用を制限した。

1964年改正以前は1000番台が不定期列車、3000番台以上が臨時列車に割り当てられていた。

1968年10月改正以前は3000番台が不定期列車に割り当てられていた。なお、これ以前には季節列車は不定期列車と称していた。

運行経路

海水浴やスキーのシーズンなど、通常は旅客の流動が少ない経路・区間であっても時期によって大きな需要が発生する場合があり、定期列車では見られない経路を走行する臨時列車も運行される(「シュプール号」など)。

また、時代背景やイベント性によってダイヤ設定される臨時列車も少なくない。その一例として1967年から1972年に、「ことぶき周遊券」を利用する新婚旅行客用として大阪駅 - 宮崎駅間を一等寝台車(のちのA寝台)のみで組成された臨時急行ことぶき」が運転されていた。観光地として(とりわけ、新婚旅行先としての)宮崎県への旅行客が多かった時代とされている。
臨時列車の例
レジャーと臨時列車

1960年代後半、好景気と所得倍増計画などによりレジャーの多様化が進んだ。その結果、国鉄も季節ごとのレジャーに対応した臨時列車の設定を行った経緯がある。また、レジャーシーズンの臨時列車には特徴的な愛称を使う列車が多数存在した。
「○○ビーチ」「○○マリン」など
マリンブルーくじらなみ号」のように、海をイメージさせる愛称。海水浴シーズンに運転され、快速列車などに多く設定されていた。類例として、1980年代から1995年には小田急電鉄でも新宿唐木田駅片瀬江ノ島駅間に江の島海岸への観光のため「サマービーチ」号や「湘南マリンエクスプレス」といった臨時列車を運転していた[注釈 5]
○○銀嶺
全車指定席もしくは指定席主体の臨時特急・急行列車。○○には定期列車名が入る(「あさま銀嶺」・「あずさ銀嶺」など)。なお、特急「ふじさん」の前身列車である特別準急「銀嶺」は関係はない。
○○スキー(スケート)
全車自由席もしくは自由席主体の臨時急行・快速列車[注釈 6]。○○には定期列車名もしく行先が入る(「ざおうスキー」・「小出スキー」など)。なお列車名のついていないスキー客向けの臨時列車は、1927年(昭和2年)から運行が始まり日中戦争が激化した1937年(昭和12年)12月に廃止が決定されるまで上越線方面へ向けて盛んに運行されていた[8][9]
シュプール号
北海道と四国を除く日本全国の主要都市から各地のスキー場へ向けて、国鉄が1986年に運行を開始した臨時列車。スキーバスに対抗すべく運行をキャンペーン的に取扱った企画列車でもあった。しかし、スキー人口の減少に伴い利用客が減少したことから運転規模は次第に縮小し、2006年度に廃止された。詳細は当該項目を参照のこと。

2000年代以降ではバスツアーの増加やスキー人口の減少により在来線のスキー列車は壊滅状態だが、JR東日本ではスキー場への日帰りをセールスポイントとした上越新幹線北陸新幹線へのシフトが好調であり、冬季に臨時列車を運行している。割引乗車券なども多数設定され、さらにJR東日本のグループ会社が運営するガーラ湯沢スキー場へ直結するガーラ湯沢駅を設置している。
リゾートと臨時列車

いわゆるリゾート地への旅客輸送を念頭に置いた臨時列車としては、国際的避暑地である軽井沢を目的地とするものが代表的であった。


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