能古島
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「風吹けば 沖つ白波 恐みと 能許の亭に 数多夜ぞ寝る」

という短歌も『万葉集』に残されている。

平安時代中期に編纂された『延喜式』兵部式には、島に馬牧が有った旨の記述が残されている。島の中心に現存する「古土手」と呼ばれる土塁遺構は、馬牧の境界だったと考えられている。
中世

島南東の城ノ浦には、北浦城(または城崎城)の遺構が残っている。『筑前国続風土記』や『早良郡志』では築城者として山上憶良と、藤原純友の家臣であった伊賀寿太郎の2名を挙げている。

能古島は、中世において、外国勢力による略奪が行われた土地でもある。1019年(寛仁3年)の刀伊の入寇では4月8日から4月11日の3日間に刀伊が軍を置き、早良郡全体の被害よりも多くのウシやウマが能古島から略奪された旨が『小右記』に記録されている。

1281年(弘安4年)の弘安の役では、島に元の軍隊が上陸した旨が『八幡愚童訓』に記録されている[注釈 2]

戦国時代は大友氏の家臣であった高橋鑑種の所領だった。石高は25だった。
近世

近世初頭に島は「残島浦」として筑前五ヶ浦に数えられ、廻船の根拠地の1つとして繁栄した[10]。島南部の白鬚神社も海神である住吉大神を祀っているため廻船乗組員の寄進を受けており、1689年(元禄2年)に建立された鳥居には寄進した廻船業者の名が残されている。

江戸時代には福岡藩ニホンジカの狩り場としていた。しかしニホンジカが農産物を荒らすため、対策として1836年(天保7年)に島の南北を海の中まで分断するような石垣を完成させ、島南側の耕地へのニホンジカの侵入を防いだ。これは.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}鹿垣(しかがき)と呼ばれ、幅3 m の溝を掘り、溝の南側に高さ2 m に土を盛って土塁を作り、その土塁の北面に30 - 50 cm 大の石を積んだ構造であった。幕末の1853年(嘉永6年)には、この狩場でスターリングイギリス東洋艦隊の提督が鹿狩りに興じた[注釈 3]

島南部には1基の登窯が現存している[注釈 4]。これは能古焼と呼ばれ、伊万里焼系の染付磁器と高取焼系の陶器を焼いた窯である。この窯は『筑前国続風土記』によると、1764年(明和元年)から1781年(天明元年)まで期間のみ操業したとされる。能古焼としては唯一の現存物とされる花瓶が、この窯に隣接する能古博物館で保存・展示されている。

1861年(文久元年)には、福岡藩によって異国船対策の台場が設置された[11]
明治以降

明治維新以降の能古島は江戸時代のような廻船は廃れ、島での主要産業は沿岸漁業と棚田を利用した農業であった。ただし農業では柑橘類の栽培が目立つようになった。

1889年早良郡残島村が置かれ、1941年10月15日に福岡市へ吸収合併された。島内の人口は1950年代に記録した約1500人を極大値として、徐々に減少した。

作家の檀一雄が晩年を過ごした島でもあり、その娘の檀ふみの著書『父の縁側、私の書斎』には、島内での一雄の生活が記述された。檀一雄が詠んだ最後の句である「モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん」が記された文学碑が建立された。なお、毎年5月の第3日曜日に、檀一雄を偲んで「花逢忌」が営まれてきた。
人口

能古島の人口の推移を福岡市の住民基本台帳(公称町別)[2]に基づき示す(単位:人)。集計時点は各年9月末現在である。body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper{margin-top:0.3em}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ul,body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ol{margin-top:0}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper--small-font{font-size:90%}

2001年(平成13年):808

2002年(平成14年):815

2003年(平成15年):801

2004年(平成16年):792

2005年(平成17年):770

2006年(平成18年):782

2007年(平成19年):767

2008年(平成20年):760

2009年(平成21年):784

2010年(平成22年):790

2011年(平成23年):783

2012年(平成24年):740

2013年(平成25年):736

2014年(平成26年):707

2015年(平成27年):692

2016年(平成28年):694

2017年(平成29年):690

2018年(平成30年):694

2019年(令和元年):685

2020年(令和2年):679

2021年(令和3年):670

2022年(令和4年):658

2023年(令和5年):644

観光のこのしまアイランドパークからの眺め。志賀島海の中道が望める。能古島キャンプ村海水浴場

のこのしまアイランドパーク - 春の菜の花・秋のコスモス・冬の水仙が有名。

能古島キャンプ村海水浴場

北浦海水浴場

展望台 - 博多湾を一望できる。

能古渡船場 - 姪浜港から定期船が接岸する。


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