日本で売られている背広は1万円以下のものから数十万円のものまで価格幅が広い。
男性用背広服の販路別売れ筋価格帯[37]商品ライン販路価格(円)
プレステージ直営店144636
ベター百貨店96281
モデレートセレクトショップ64188
ポピュラー総合スーパー42792
バジェットホームセンター28670
日本では、家計消費状況調査の品目として背広も調査されている。2017年での背広の平均は53500円であった[38]。
家計消費状況調査年報 2017年 背広[38]年間収入(万円)平均(百円)
-20083
200-300181
300-400295
400-500296
500-600683
600-700779
700-800942
800-9001178
900-10001117
1000-12501667
1250-15001895
1500-20002377
2000-6224
参考資料
辻元よしふみ、辻元玲子 『スーツ=軍服!?―スーツ・ファッションはミリタリー・ファッションの末裔だった!!』 彩流社、2008年3月。ISBN 978-4-7791-1305-5。
ハーディ・エイミス 『ハーディ・エイミスのイギリスの紳士服』 森秀樹訳、大修館書店、1997年3月。ISBN 978-4-469-24399-4。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 仕立ての良い背広は、ボタンを閉じたまま座ると襟や胴回りに余分なシワが生じる。
^ 1950年代までには、シルエット上の理由で下のボタンを掛けないことが一般的になる。 参考:染葉秋宏「男子服独習書」主婦之友社 p.91
^ 中1つ掛け。上と真ん中を掛ける上2つ掛けもある。
^ 同時期の背広と詰襟の製図を比較した場合、打ち合わせの設計には差がみられない。
^ 具体例は枚挙にいとまがないが、たとえば『読売新聞』1932年7月3日夕刊においては「既製夏洋服」の値段表では背広三ツ揃と背広上下が区別されており、ツーピース販売されていたことがうかがえる。
^ たとえば、東亜洋服裁断師協会本部『裁断芸術 第1編』1930年では、米英の製図が日本のものと比較しながら紹介されている。また、当時の洋装研究社『テイラー』などでは米英仏独に留まらず北欧の例なども紹介されている。
^ 過渡期にあってはサスペンダー用のボタンおよび尾錠とベルトループの両方がつけられたものが多い。参考:遠藤政次郎『文化洋裁講座 第四巻』1935年 p.320
^ こうした処理自体は欧米においては古くから行われており、日本でも戦前からごく稀に行われることはあった。また、染葉秋宏『男子服独習書』1951年p.219の例にうかがえるように戦後の生地不足の時代にも例外的に行われることがあった。
^ これらの流行の変遷はスタイル社の『男子専科』、洋装研究社の『テイラー』や洋装社の『洋装』などを通じて把握することができる。
出典^ a b 広辞苑 第5版
^ a b c d 日本大百科全書
^ a b 世界大百科事典
^ 「背広」は死語? 20代3割「知らない」、「せびれ?」の珍回答も…クールビズで消費も縮小