背広
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

多くは豊かではない労働者で日常は作業着などで仕事をしているが、水道が普及していない環境でも体や服の清潔を保ち、収入の多くを高価な背広に費やし、ハレの日などには濃い肌や髪や瞳の色と互いに引き立て合う鮮やかな色調の着こなしで現れ、平和自由を尊重して人生を楽しみ、尊敬される人たちである[31][30]

日本では明治維新に伴って背広を含む洋服を取り入れたが、冠婚葬祭などにおける礼装や、仕事や外交における半ば制服として、ファッションではなくマナーに留まっていて、これは現在も続いているとする評もある。冠婚葬祭でのブラックスーツや就職活動でのリクルートスーツ会社員公務員では暗い色の背広に白いシャツと地味なネクタイ、暴力団などの反社会的勢力ではけばけばしい派手な背広とシャツとネクタイの組合せなど、ステレオタイプな画一的な服装をしていて、背広を含めた服装に社会の規律を意味する度合いが、日本では非常に高いとされる。環境省など行政が提案しているクール・ビズでは、具体的に服装規定を設けて、背広の上着を着ないいわゆる「ノージャケット」について「可だが徹底されていない」などの表現にみられるように、ルール化されている。また「体形に合ったスーツ選びを。色はダークな紺か黒が無難。」や「スーツに合わせる定番アイテムのルール」のように規則として表現している書籍もある[30][32][33][34][35]

男性の略礼装には昼夜を問わず背広型のスーツが用いられる。特に改まった場ではダークスーツがふさわしいとされる。ダークスーツは暗く濃い灰色紺色の無地やそれに準じる生地を用いた背広型のスーツである。着こなしはシャツネクタイに決まりがないが、白色のシャツに結婚式などでは華やかな色や銀色のネクタイ、葬儀などでは地味な色のネクタイを用いるのが奨められている。黒色の背広型スーツ(ブラックスーツ)を用いるのは日本独特の風習であり、ブラックスーツはダークスーツに該当しない[5][6][20][36]

もともと注文服として生まれた自宅でくつろぐための背広は、既製服化され「吊るしの背広」として普及することにより略礼装にも用いられる服に昇格する。背広の世界的普及は、欧米科学技術経済文化の優越感や、帝国主義によるグローバリゼーションによるもので、中国における人民服や、南アフリカ共和国ネルソン・マンデラが着たろうけつ染めのシャツ、あるいは糸車を廻すマハトマ・ガンディーの着るインド木綿の肩掛けや腰布など、一様ではなく社会的にも複雑な問題をはらんでいる。また、かつて若者の反抗のシンボルとされたジーンズTシャツに背広をあわせるような着こなしもある。このように受容あるいは拒否された背広は、ポストモダンが提唱される現代では「退屈な代物」などと評される一方で、今後もしばらく生き延びるとされている[29][30]
販売価格

日本で売られている背広は1万円以下のものから数十万円のものまで価格幅が広い。

男性用背広服の販路別売れ筋価格帯[37]商品ライン販路価格(円)
プレステージ直営店144636
ベター百貨店96281
モデレートセレクトショップ64188
ポピュラー総合スーパー42792
バジェットホームセンター28670

日本では、家計消費状況調査の品目として背広も調査されている。2017年での背広の平均は53500円であった[38]

家計消費状況調査年報 2017年 背広[38]年間収入(万円)平均(百円)
-20083
200-300181
300-400295
400-500296
500-600683
600-700779
700-800942
800-9001178
900-10001117
1000-12501667
1250-15001895
1500-20002377
2000-6224

参考資料

辻元よしふみ、辻元玲子 『スーツ=軍服!?―スーツ・ファッションはミリタリー・ファッションの末裔だった!!』 彩流社、2008年3月。
ISBN 978-4-7791-1305-5

ハーディ・エイミス 『ハーディ・エイミスのイギリスの紳士服』 森秀樹訳、大修館書店、1997年3月。ISBN 978-4-469-24399-4

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 仕立ての良い背広は、ボタンを閉じたまま座ると襟や胴回りに余分なシワが生じる。
^ 1950年代までには、シルエット上の理由で下のボタンを掛けないことが一般的になる。 参考:染葉秋宏「男子服独習書」主婦之友社 p.91
^ 中1つ掛け。上と真ん中を掛ける上2つ掛けもある。
^ 同時期の背広と詰襟の製図を比較した場合、打ち合わせの設計には差がみられない。
^ 具体例は枚挙にいとまがないが、たとえば『読売新聞』1932年7月3日夕刊においては「既製夏洋服」の値段表では背広三ツ揃と背広上下が区別されており、ツーピース販売されていたことがうかがえる。
^ たとえば、東亜洋服裁断師協会本部『裁断芸術 第1編』1930年では、米英の製図が日本のものと比較しながら紹介されている。また、当時の洋装研究社『テイラー』などでは米英仏独に留まらず北欧の例なども紹介されている。
^ 過渡期にあってはサスペンダー用のボタンおよび尾錠とベルトループの両方がつけられたものが多い。参考:遠藤政次郎『文化洋裁講座 第四巻』1935年 p.320
^ こうした処理自体は欧米においては古くから行われており、日本でも戦前からごく稀に行われることはあった。また、染葉秋宏『男子服独習書』1951年p.219の例にうかがえるように戦後の生地不足の時代にも例外的に行われることがあった。
^ これらの流行の変遷はスタイル社の『男子専科』、洋装研究社の『テイラー』や洋装社の『洋装』などを通じて把握することができる。

出典^ a b 広辞苑 第5版
^ a b c d 日本大百科全書
^ a b 世界大百科事典
^ 「背広」は死語? 20代3割「知らない」、「せびれ?」の珍回答も…クールビズで消費も縮小 産経新聞 2018年8月26日閲覧
^ a b c 田中千代 『新・田中千代服飾辞典』 同文書院 1991年 ISBN 4-8103-0022-6
^ a b c 『ファッション辞典』文化出版局 2000年
^ リーダーズ英和辞典第2版
^ a b c d 日本大百科全書(ニッポニカ)『背広』 - コトバンク - 執筆:石山彰
^ a b 日本国語大辞典、第12巻(せさーたくん)、p.66、1976年4月15日発行、第1版第2刷、小学館
^ 広辞苑第六版


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:72 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef