胆振縦貫鉄道は、開業時にタンク機関車2両、その後テンダ機関車5両、二軸客車6両、貨車44両を導入した。胆振鉄道引継車を含めて、蒸気機関車9両、二軸客車10両、二軸貨車55両が当鉄道に在籍し、1943年に譲渡された4号機を除き、この陣容で国有化を迎えることになる。買収の対象となったのは、機関車6両、客車6両、貨車55両であった。
蒸気機関車
3 - 1923年(大正12年)2月、汽車製造製車輪配置2-6-2(1C1)の44tタンク機関車で、1940年に筑波鉄道5を譲り受けたものである。胆振鉄道引継ぎの2とは、若干の寸法差、形態差はあるが実質的に同形機である。国有化後は3425形(3425)となった。
4 - 1908年(明治41年)、汽車製造製の車輪配置2-4-2(1B1)の37tタンク機関車で、鉄道省230形の同形機である。建設用として1940年に東武鉄道19を譲り受けたもので、元をただせば、大阪高野鉄道7を振り出しに東上鉄道5を経て東武鉄道に入ったものである。1943年(昭和18年)9月、三菱重工業水島工場に譲渡された。1952年(昭和27年)倉敷市営となりその後ディーゼル化後も予備車として残り1958年(昭和33年)廃車届[17]
D51形(D5101 - D5105) - 1941年(昭和16年)1月(D5101 - D5103)、1942年(昭和17年)7月(D5104)汽車製造製、1943年6月(D5105)日立製作所製の、鉄道省D51形同形機である。軌道の状況から、鉄道省のものより1t重量が軽減されているが、それでも33km/hの速度制限を受けたという。買収後はD51形(D51950 - D51954)に編入された。廃車後953は豊浦町の公園に954は富良野市文化会館に保存展示されている
客車
ハ1, ハ2 - 1913年(大正2年)天野工場