胆振鉄道
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鉄道院の452(450形)で、筑波鉄道9号機汽車製造から購入する際に下取りされたもので、同社が3として整備し転売したもの。国有化時に日鉄鉱業に譲渡され、喜茂別の同社専用線で使用された[13]

2 - 1928年、汽車製造製車輪配置2-6-2(1C1)の44tタンク機関車(製造番号 1031)。汽車製造標準設計の機関車である。国有化時に日鉄鉱業に譲渡され、同社の専用線で使用された[13]



客車

フロハ1 - 1903年(明治36年)東京車輛製の二三等二軸客車で、開業時に鉄道省から譲り受けたもの。旧番号は、フロハ930(元北海道鉄道 (初代)[14])。国有化時に日鉄鉱業に譲渡され、同社の専用線(赤谷鉱山専用鉄道)で使用された[15]

フハ1, フハ2, フハ3 - 1907年(明治40年)鉄道院新橋工場製の三等二軸客車で、開業時に鉄道省から譲り受けたもの。旧番号は、フハ3416、フハ3418、フハ3428。国有化後は、ハ1193 - ハ1195と改番された[16]



貨車

ワム1形(ワム1) - 1928年7月、日本車輌製造東京支店製の15t積み有蓋車で、鉄道省ワム1形同形車。合併後はワム3に改番され、国有化後はワム1形(ワム1770)に編入された。

ワブ1形(ワブ1, ワブ2) - 1928年6月、日本車輌製造東京支店製の13t積み有蓋緩急車。合併後はワブ10形(ワブ10, ワブ11)に改番され、国有化後はワフ9000形(ワフ9000, ワフ9001)となった。

ト1形(ト1, ト2) - 1929年8月、日本車輌製造東京支店製の10t積み無蓋車。合併後も改番されなかったが、国有化後はト6000形(ト8931, ト8932)に編入された。

トム1形(トム1 - トム4) - 1928年5 - 7月、日本車輌製造東京支店製の15t積み無蓋車で、鉄道省トム1形と同形の5枚側である。合併後はトム1形(トム33 - トム36)となり、国有化後はトム1形(トム2360 - トム2363)に編入された。

トム1形(トム5, トム6) - 1928年10月、日本車輌製造東京支店製の15t積み材木車兼用無蓋車で、4枚側で8本の側柱を持つ。合併後はトム37形(トム37, トム38)となり、国有化後はト14700形(ト14737, ト14738)に編入された。


胆振縦貫鉄道

胆振縦貫鉄道は、開業時にタンク機関車2両、その後テンダ機関車5両、二軸客車6両、貨車44両を導入した。胆振鉄道引継車を含めて、蒸気機関車9両、二軸客車10両、二軸貨車55両が当鉄道に在籍し、1943年に譲渡された4号機を除き、この陣容で国有化を迎えることになる。買収の対象となったのは、機関車6両、客車6両、貨車55両であった。

蒸気機関車

3 -
1923年(大正12年)2月、汽車製造製車輪配置2-6-2(1C1)の44tタンク機関車で、1940年に筑波鉄道5を譲り受けたものである。胆振鉄道引継ぎの2とは、若干の寸法差、形態差はあるが実質的に同形機である。国有化後は3425形(3425)となった。

4 - 1908年(明治41年)、汽車製造製の車輪配置2-4-2(1B1)の37tタンク機関車で、鉄道省230形の同形機である。建設用として1940年に東武鉄道19を譲り受けたもので、元をただせば、大阪高野鉄道7を振り出しに東上鉄道5を経て東武鉄道に入ったものである。1943年(昭和18年)9月、三菱重工業水島工場に譲渡された。1952年(昭和27年)倉敷市営となりその後ディーゼル化後も予備車として残り1958年(昭和33年)廃車届[17]

D51形(D5101 - D5105) - 1941年(昭和16年)1月(D5101 - D5103)、1942年(昭和17年)7月(D5104)汽車製造製、1943年6月(D5105)日立製作所製の、鉄道省D51形同形機である。軌道の状況から、鉄道省のものより1t重量が軽減されているが、それでも33km/hの速度制限を受けたという。買収後はD51形(D51950 - D51954)に編入された。廃車後953は豊浦町の公園に954は富良野市文化会館に保存展示されている



客車

ハ1, ハ2 - 1913年(大正2年)天野工場製の三等客車で、1940年11月の開業時に入線した。元は富士身延鉄道ハ1, ハ2である。国有化時に日鉄鉱業に譲渡され、同社の専用線(赤谷鉱山専用鉄道、上喜茂別専用鉄道)で使用された[15]

ハフ1, ハフ2 → ハ3, ハ4 - 1912年(大正元年)天野工場製の三等緩急客車で、1940年11月の開業時に入線した。元は富士身延鉄道ハフ1, ハフ2である。時期は不明であるが、ハ3, ハ4に改番されている。国有化後はハ1191, ハ1192に改称されている[16]

ユニ1, ユニ2 - 1921年(大正10年)4月、日本車輌製造東京支店製の郵便荷物車で、1940年11月の開業時に入線した。元は富士身延鉄道クユニ1, クユニ2で、製造時はハユニ1, ハユニ2と称した。国有化時にはユニ2が日鉄鉱業(上喜茂別専用鉄道)に譲渡され[15]、ユニ1は国有化後ニ4119に改称されている。



貨車

ワム1形(ワム1, ワム2) - 1940年5月、汽車製造東京支店製の15t積み鋼製有蓋車で、鉄道省スム1形鉄側有蓋車の同形車である。国有化後は、スム1形に編入され、スム3992, スム3993となった。

ワフ1形(ワフ1 - ワフ3) - 1940年5月、汽車製造東京支店製の13t積み鋼製有蓋緩急車で、ワム1形に車掌室を設けた形態である。国有化後は、ワフ23200形(ワフ23200 - ワフ23202)となった。

ト10形(ト10 - ト12) - 1940年12月、鉄道省大宮工場改造の10t積み無蓋車(2分割3枚側)である。種車となったのは鉄道省ヨ1形(ヨ299, ヨ460, ヨ557)で、客車が出自であるため軸距が3,800mmとこのクラスの二軸車としては非常に長かった。国有化後は、土運車リ1900形に編入され、リ1923 - リ1925となった。

ト13形(ト13) - 鉄道省払い下げの10t積み無蓋車で、旧番はト8865である。1940年5月に鉄道省大宮工場で3枚側に改造のうえ入線した。国有化後はト17044となった。

トム1形(トム1 - トム12) - 1940年5月、汽車製造東京支店製の15t積み無蓋車で、鉄道省トム1形の同形車である。国有化後はトム1形に編入され、トム2348 - トム2359となった。

トム13形(トム13 - トム19) - 1940年8月、梅鉢車輛製の15t積み無蓋車で、鉄道省トム19000形の同形車である。国有化後はトム19000形に編入され、トム24702 - トム24708となった。

トム20形(トム20 - トム32) - 1940年10-11月、梅鉢車輛製の15t積み無蓋車で、鉄道省トム19000形の同形車である。トム13形との差異は、空気ブレーキが装備されていないことである。国有化後はトム19000形に編入され、トム24709 - トム24721となった。

チム1形(チム1, チム2) - 1940年5月、汽車製造東京支店製の側柱8本を持つ15t積み長物車である。国有化後はチム50形(チム50, チム51)となった。

キ1形(キ1) - 1941年に三菱大夕張鉄道から譲り受けた雪かき車ラッセル式)キ28である。元は1912年11月鉄道院札幌工場製のキ1形(キ28)だが、国有化後は旧番に復さず、続番のキ87が与えられた。


脚注^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『人事興信録. 第11版(昭和12年) 』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1924年3月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年10月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1931年12月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 大株主輪西鉱山、胆振開発『帝国銀行会社要録. 昭和13年(26版)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1941年1月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1941年10月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)


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