肥薩線列車退行事故
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そこへ突如、列車が後退し始めた[1]。貨車には当然車内放送設備がないため車掌から注意を喚起できず、また後補機の乗員も排煙にむせ返って指示を出せない状態だった。待避場所照明も無い上に排煙が充満したトンネル内で、線路上を歩いていた乗客は次々と列車に轢かれた。

非常事態を告げる機関車の汽笛を聞いた地元住民や真幸、吉松の警防団が第二山ノ神トンネルに向かったが、トンネル内は排煙で黒くなった遺体やその破片、生存者のうめき声が響く惨状だった。この事故で、49名[注釈 3]が死亡した[1]
影響

故郷を目前に命を絶たれた復員兵の霊のために、事故の翌年から地元住民による慰霊祭が毎年8月22日に行われている。第二山ノ神トンネルの真幸側出口には、十七回忌に当たる1961年(昭和36年)8月22日に慰霊碑が建立された[1]

2019年現在、同区間を走る観光列車「いさぶろう・しんぺい」の車内では、現場付近の案内放送でこの事故についての説明が行われている。

作家の鶴ケ野勉は、この事故を題材の一つに小説『中央構造線』(鉱脈社 2013年 ISBN 978-4860614867)を発表している。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 重連ではなく、編成の最後尾に補機を連結していた。
^ 不足する客車の「代用」として、無蓋貨車を連結していた。
^ 53名、または56名との説もある。

出典^ a b c d e f g h i j 大谷節夫「エピソード明治・大正・昭和 14-復員軍人の殉難」 倉地英夫・大谷節夫『九州の蒸気機関車』ぱぴるす文庫05 葦書房 1978年 P.78-80

関連項目

鉄道事故

近鉄奈良線列車暴走追突事故

北陸トンネル列車火災事故

外部リンク

肥薩線100年の旅?全線開通100周年? - 鹿児島県
- ウェイバックマシン(2010年9月24日アーカイブ分)


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