国府は、『色葉字類抄』によると、佐嘉郡にあり現在の佐賀県佐賀市大和町惣座(久池井)にあった。大化の改新によって国府が置かれるようになり、肥前国の国府は大和町久池井に置かれた。行政・防衛の中心地として重要な地点を占めた。国府の長である国司の中には、遣唐使中有名人の一人である吉備真備や、大江山の酒天童子退治で「平安時代の快男子」とうたわれた源頼光もこの地に住んでいた。
8世紀前半に造営され、そのまま移転せずに規模を変化させているが、10世紀に入ると急速に縮小していく。1975年(昭和50年)から1984年(昭和59年)までの発掘で政庁などの遺跡が発見された。1989年、国の史跡に肥前国庁跡が指定された。
内陸にある国府に通じる国府津(外港)が、現在の佐賀市諸富町大津にあったと推定される。現在、惣座の国庁跡は嘉瀬川沿い、大津は筑後川沿いにあって直接通じていないが、古代は嘉瀬川(『肥前国風土記』等記載の佐嘉川に比定)の流路が異なり両地点が舟運で結ばれていた可能性がある[2]。
易林本の『節用集』では、「小城郡に府」と記載がある。なお、昭和10年頃の地図などによると、かつては現在の大和町の一部(都府楼、惣座、尼寺辺りまで)も小城郡としていたという記録もある。[3]
国分寺・国分尼寺
肥前国分寺跡
佐賀県佐賀市大和町大字久池井。
神社
延喜式内社
『延喜式神名帳』には、以下に示す大社1座1社・小社3座3社の計4座4社が記載されている(「肥前国の式内社一覧」参照)。大社1社は名神大社である。
松浦郡 田嶋坐神社 (現 田島神社、佐賀県唐津市呼子町加部島) - 名神大社。
松浦郡 志志伎神社 (長崎県平戸市野子古町)
基肄郡 荒穂神社 (佐賀県三養基郡基山町大字宮浦)
佐嘉郡 與止日女神社 (佐賀県佐賀市大和町大字川上)
総社・一宮
総社 所在不明
一宮
與止日女神社 - 国衙と結びついていた。
千栗八幡宮 - 宇佐神宮を背景とした。
最も社格が高いのは田島坐神社であるが、一宮にはなっていない。一宮は中世以降、上記の2社が一宮を主張し並立した。二宮以下は不詳であるが、天山社・天山神社が三宮とされることがある。 ※ 矢印→の右側は近代(1896年(明治29年))以降の郡名及び市名。
安国寺利生塔
安国寺 - 佐賀県神埼市神埼町朝日。
利生塔 - 東妙寺(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手)内に設置。
地域
郡
基肄郡(きい)→三根郡、養父郡と合わさり、佐賀県三養基郡へ
姫社郷
山田郷
基肄郷
川上郷
長谷郷
養父郡(やふ)→三根郡、基肄郡と合わさり、佐賀県三養基郡へ・郡から除外された市部は鳥栖市へ
狭山郷
屋田郷
養父郷
鳥栖郷
三根郡(みね)→養父郡、基肄郡と合わさり、佐賀県三養基郡へ