このように教派ごとの相違点があり、論者によっては重要な争点と位置付けられる一方で[15]、論者によっては、伝統的な神学では聖霊論は非常に軽視されてきた分野であると評される事もある[16]。
本項では各節において、できる限り幅広い教派に共通する内容を先に述べ、次に各教派ごと(西方教会:カトリック教会・聖公会・プロテスタント、東方教会:正教会)の内容を簡潔に述べる。
神(位格・個位)
整理された教義(教理・定理)西方教会でよく使われる『三位一体の盾』の図式。三位一体を図式化するのには様々なバリエーションがある。
カトリック教会[2]、聖公会[17][18]、プロテスタント[15][19][20]、正教会[1]、非カルケドン派[21]において、聖霊は三位一体の一つの位格(個位、神格、希: υπ?στασι?[注 5], 羅: persona[注 6])であると位置付けられる。
第1ニカイア公会議(第一全地公会、325年)の頃から第1コンスタンティノポリス公会議(第二全地公会、381年)の頃にかけて、こうした三位一体論の定式が(論争はこの二つの公会議が終わった後もなお続いていたが)整理されていった[22][23]。 本節では、いわゆる正統派から否定される諸説を概観する。「三位一体そのものを説明するよりも、三位一体でないもの(異端の教え)を説明し、それを否定する方がより正確」とされることがある[24]。 カトリック教会において、「来たり給え、創造主なる聖霊よ」(羅:Veni Creator Spiritus)のような聖霊を賛美するグレゴリオ聖歌は有名であり、また聖霊が使徒らに降った聖霊降臨という祝日が盛大に祝われる[38]。 その祝日に向けて、「聖霊への十日間の祈り」の信心が多くの国では根付いている[39]。
「異端」とされた考え
三神論(聖霊は「三つの神のうちの一つ」)
いわゆる正統派によれば、聖霊は神であるが、父なる神・子なる神・聖霊は、三つの神ではないとされ、三位格は三神ではないとされる[24][25][26][27](なお、こうした「異端」が歴史上まとまった形で出現したことはないともされるが[28]、幾つかの事例につき「三重の神性」への傾斜として批判的に指摘されることはある[2])。
聖霊は一様式(mode)もしくは「一つの『役』」
「子なる神、聖霊は、時代によって神が自分を表す様式(mode)を変えていったもの」「一つの『役』のようなもの」と主張する考えは、様態論的モナルキア主義(英語: modalistic monarchianism)と呼ばれ、いわゆる正統派から否定される[24][29][30][31]。
聖霊の神性は比較的劣っている
聖霊の神性は認めるものの、父なる神(神父:かみちち)、子なる神(神子:かみこ、イエス・キリスト)よりも劣った存在であるとする主張である。この主張を聖霊について採るアリウス派は、子なる神も父なる神より劣ったものとした。アリウス派は第1コンスタンティノポリス公会議でいわゆる正統派から異端とされたが、聖霊の神性が比較的劣っているという教説も併せて否定されている[2][32]。
聖霊は神ではない
聖霊の神性を否定した人々は「聖霊神性否定論者
カトリック教会における聖霊信心
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 「神゜」は「神」に半濁点の「゜」(ただし厳密には半濁点ではない。詳細は「天の王」を参照。
^ a b 神゚は「神」に半濁点の「゜」をつけたもので、唯一神と区別するために付す。
^ 希: ?γιο Πνε?μαは「聖なるプネウマ(霊)」、英: Holy Spiritも聖なるスピリット(霊)」であって、「精」の字(「精霊」)は教会で使われないのみならず、語義的にも不適切である。
^ 聖大バシレイオス(聖大ワシリイ)は、「第一に、第二に、第三に」「一つには…、二つには…、三つには…」といった数え方・言及の仕方を三位一体に適用することに批判的である。彼はその根拠として、マタイによる福音書28章19節を挙げ、そこでイエス・キリストが「父と子と聖霊」を述べる際に数を伴わせていない事を挙げている。
^ (hypostasis):古典ギリシア語再建音からはヒュポスタシス、現代ギリシア語からはイポスタシスと転写し得る。
^ 転写:ペルソナ
^ (Pneumatomachoi):古典ギリシア語再建音からはプネウマトマホイ、現代ギリシア語からはプネヴマトマヒと転写し得る。
出典^ a b c d “聖神
^ a b c d e “ ⇒Holy Ghost”. CATHOLIC ENCYCLOPEDIA. 2019年6月22日閲覧。