聖火リレー
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また回を経るごとに凝った演出が用いられ、1968年メキシコシティーオリンピックでは聖火が大西洋を渡る事になったが、その移動に船を利用し、その航路はコロンブスのアメリカ大陸行きルートをそのまま辿った。注目すべき輸送手段として、1976年モントリオールオリンピックの時には、聖火を電子パルスに変換する試みがあった。このパルスをアテネから衛星を経由してカナダまで送り届け、レーザー光線で再点火が行われた。他の輸送手段としては、ネイティブアメリカンカヌーラクダコンコルドも挙げられる。

2000年シドニーオリンピックではグレートバリアリーフの海中をダイバーによって移動され、史上初めての海中聖火リレーとなった。

2004年アテネオリンピックの時には、78日間にわたる初の世界規模の聖火リレーが行われた。聖火は、およそ11,300人の手によって78,000kmの距離を移動し、この中で初めてアフリカ中南米に渡り過去のオリンピック開催都市を巡り、2004年のオリンピック開催地であるアテネまで戻ってきた。

2008年北京オリンピックでは世界135都市を経由し、標高8848mで世界最高峰のエベレスト山頂を通過した。しかし、アルゼンチンアメリカフランスイギリスオーストラリアインド日本韓国など世界各国では中国のチベット弾圧に対する抗議デモなどの影響で三度ほど聖火を消したり、予定されていたルートを変更する国が続出する事態となった。また、長野市で聖火リレーが行われた日本では善光寺がスタート地点としての利用を取りやめにしたほか、公式スポンサーのレノボジャパン、日本サムスン、日本コカ・コーラ三社が広告掲示を取りやめ(三社ともチベット問題を理由とはしていない)るなど混乱が生じた。詳細は2008年北京オリンピックの聖火リレーを参照。

2009年3月26日、国際オリンピック委員会(IOC)は、北京オリンピックの聖火リレーが円滑に運営されなかったことを受け、今後の五輪開催に伴う聖火リレーは主催国内のみで行い、世界規模の聖火リレーを廃止することを決めた。

2016年リオデジャネイロオリンピックでは国内約270都市を経由したが資金難などで聖火リレーを辞退したり、一部で妨害などが発生した[5][6]

2020年東京オリンピックでは、全国47都道府県で2-3kmの区間でリレーを行い、その他の区間では車で聖火を運ぶ形式で聖火が運ばれることとなっている[7]。リレーでの1人あたりの走行距離は200mとされ、2分間程度の時間で走ることが求められた。専用の衣装が用意され、伴走車とともに走る予定になっている[7]。このため1964年の東京オリンピックでは10万人以上が必要であった走者が、1万人程度と大幅に減少している[7]。なお車で運搬している時の聖火については非公開とされており、ルートも事前公表されていない[7]。詳細は「2020年東京オリンピック」を参照
冬季オリンピックソチオリンピックのトーチを持ったミハイル・チューリン宇宙飛行士

冬季オリンピックにおいては、最初の聖火リレーが行われたのは1952年オスロオリンピックだった。最初の聖火リレーの採火地はオリンピアではなく、ノルウェーのモルゲダールにある、スキースポーツの開拓者、ソンドレ・ノールハイム(英語版)の家の暖炉であった。1960年1994年の聖火もそこで採火された。

1956年の聖火リレーはローマからスタートとなった。

これらの年を除き、冬季オリンピックの聖火リレーはオリンピアからスタートしている。

1998年長野オリンピックではリレー用トーチの設計が悪く、特に前傾させると走行風で聖火が消えるトラブルが頻発した。火が消えないよう、垂直、あるいはやや後傾させた場合は燃料が垂れ、火傷の原因となるなど事前のテスト不足が指摘された。

2014年ソチオリンピックでは聖火が砕氷船で史上初めて北極点に運ばれた[8]。また、ソユーズTMA-11Mによってトーチが国際宇宙ステーションに運ばれ、ロシア人宇宙飛行士2名がトーチを持って宇宙遊泳を行い、史上初の宇宙空間での聖火リレーが行われた[9]
歴代最終聖火ランナー詳細は「オリンピック聖火点火者の一覧」を参照

開催国を代表する優れた競技成績を持つ著名なアスリート(現役引退問わず)、有望な若手アスリート、開催国にとって象徴的な意味を持つ人物などが最終聖火ランナーとして選ばれることが伝統になっている。

著名でない人物の例としては、東京オリンピックの坂井義則広島に原爆が投下された1945年8月6日広島県三次市で生まれ、第二次世界大戦後の日本の復興を象徴)、1976年モントリオールオリンピックの二人のティーンエイジャー(一人はフランス語圏の出身者、もう一人は英語圏の出身者で、カナダの多文化主義を象徴)、2012年ロンドンオリンピックの7人の10代のアスリート(イギリスを代表する7人の元アスリートから「次代を担う若者」として指名され、イギリスの未来を象徴)などがある。
聖火台への点火「氷上の奇跡」と言われた20人の1980年アメリカ・アイスホッケーチーム選手のうち17人が、2002年ソルトレークシティオリンピックの開会式でタワーの基部にある聖火台に点火すると、らせん型の塔を炎が上って行き、頂上で聖火として灯った。

聖火が衆目を集める理由は、聖火台への点火が開会式のクライマックスとなることにもある。一方では、ショーアップのために点火の「仕掛け」が複雑化し、コストの上昇やトラブルをもたらす問題もあり、回を追うごとにエスカレートする傾向の演出には批判の声もある。

1992年のバルセロナ大会では、パラリンピックアーチェリー選手アントニオ・レボジョが、スタジアムの端に位置する聖火台へ聖火のついた矢を飛ばし、聖火台上を通過し火がついた。

1994年のリレハンメル大会では、スキージャンパーによってスタジアムに聖火がもたらされた。

1998年の長野大会では開会式場の外側に立つ聖火台にどうやって点火するのか話題となったが、十二単をモチーフにした衣装を身にまとった伊藤が会場内のエレベーターでせりあがり、聖火台に近づいて火をつけた。

2000年のシドニー大会では、池の中にフリーマン自身が入りトーチをぐるりと1周回して点火、その火が付いたリング上のオブジェがせり上がり最上部で聖火台にセットされた。

2002年のソルトレイクシティ大会では、「氷上の奇跡」と呼ばれたアメリカのアイスホッケーチームの20人中17人がトーチを持って聖火台の下にに火をつけた。火は上がっていき聖火台上部に火が灯る。

2004年のアテネ大会では、最終点火者が階段を登るのと同時にすらっと長い聖火台がお辞儀をするように下がってきてそこに点火する。

2006年のトリノ大会では、トンネル形のオブジェの目の前にベルモンド自身が立ち点火。スタジアム全体に花火が打ち上がり聖火台に火が点いた。

2008年の北京大会では、ワイヤーロープを繋いだ李寧が、スタンド最上段に張り巡らされた大型スクリーンの上を疾走するという演出を行い、聖火台直下にあった鉄パイプに点火した。火は鉄パイプを通り、中国の文様などが描かれた聖火台に火がついた。


2010年のバンクーバー大会では、地面から4本の雪をイメージした支柱が伸び4人のランナーが同時に点火する予定だったが、機械の故障で1本が上がらず3本で点火する形となった。しかし閉会式でこのハプニングを逆手に、ピエロがプラグを繋いで引き揚げるという演出がなされ、開会式では点火出来なかったカトリオナ・ルメイ・ドーンが点火している[10]。また、この大会では会場外の聖火台にも点火されている。

2012年のロンドン大会では、競技場の中央に長い棒が放射状に設置され、その先がカラーの花のようになった参加国の数と同じ204本の棒に点火。


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