聖徳太子
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^ 日本書紀は隋を大唐国としている。また、『日本書紀』には国書の内容(「日出る処…」)の記述はない。
^ 『日本書紀』には遣隋使という文字はない。隋という国名も618年高句麗が隋の捕虜を献上した記事に登場するのみである。『隋書』によれば、遣使の国書は「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す(「聞海西菩薩天子重興佛法」「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」「卷八十一 列傳第四十六 東夷 ?國」)」との文言があり、没落を表す日没する処という表現は隋の煬帝開皇11年(591年)に菩薩戒により総持菩薩となったのは父の文帝であり、自分の即位を知らなかったことも煬帝を怒らせた)を「無礼である、二度と取り次がせるな」(「帝覧之不悦 謂鴻臚卿曰 蠻夷書有無禮者 勿復以聞」)と大いに不快にさせた。なお太子の使った「日出處」「日沒處」は『摩訶般若波羅蜜多経』の注釈書『大智度論』に「日出処是東方 日没処是西方」とあるなど、単に東西の方角を表す仏教用語であるとされる。また、「天子」という表現も天子とは天帝の子である皇帝を意味するとしてきた隋側には許容できないものであった。この国書は?國が隋との対等の外交を目指したものであり、冊封体制に入らないことを宣言したものである。当時、隋は高句麗との戦争を準備しており、背後の?國と結ぶ必要があった。
^ 皇帝が「倭皇」の文字を用いるとは常識的には考え難く、実際は「倭王」であったと見る意見が多いが、隋と並ぶ天子を称する非常識な相手への返書であり、高句麗の背後にあることから倭王の無礼を受忍し、倭への冊封ではあるが「皇帝」の「皇」を与えたとも考えられる。「王」を改竄して「倭」を改竄しないのも不自然であり、隋から「皇」を与えられて「天皇」を名乗ったように改竄するのは皇国史観に反する改竄になる。『隋書』は倭王に会った時と帰国する前の裴清の言葉を記すが、国書を載せていない。
^ 『隋書』にこの記述はない。
^ どの時代から「天皇」という語が使用されているかについては諸説ある。『日本書紀』の古訓では「倭皇」「東天皇」をどちらも「やまとのすめらみこと」と読んでいる。
^ 田村圓澄は「その太子像は荒唐無稽な異聞奇瑞(きずい)で満たされている」とする。作者を藤原兼輔とする説が有力であったが、今日では疑問視されている(『日本大百科全書』(小学館[要ページ番号]) )。
^ 久米邦武は、学僧が日本に持ち帰った景教(ネストリウス派)の知識が太子誕生説話に付会されたのだろうと推定している。佐伯好朗は、1908年に論文「太秦を論ず」において聖徳太子と関係の深い秦氏と景教とユダヤ人の関わりについて論じ景教博士と呼ばれた。さらに空想をたくましくして秦氏と古代イスラエル民族と直接に関連するという日ユ同祖論を唱える極端な仮説(手島郁郎太秦の神-八幡信仰とキリスト景教』(1971年[要ページ番号])が代表例)も存在する。
^ 妙法蓮華経法師功徳品(ほっしくどくほん)は「千二百の耳の功徳」について説いている。(爾時仏告常精進菩薩摩訶薩。若善男子善女人。受持是法華経。若讀若誦若解説若書寫。是人当得八百眼功徳。千二百耳功徳。八百鼻功徳。千二百舌功徳。八百身功徳。千二百意功徳。以是功徳荘厳六根皆令清浄。是善男子善女人。父母所生清浄肉眼。見於三千大千世界。内外所有山林河海。下至阿鼻地獄上至有頂。亦見其中一切衆生。及業因縁果報生処。悉見悉知。爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言。)(無数種人聲。聞悉能解了。)
^ 万葉集(『萬葉集』巻三 415)では片岡山ではなく龍田山とある。
^ 拾遺和歌集巻20哀傷1350 この歌と返し歌をもって『拾遺和歌集』最終巻は終わる。『源氏物語』 第20帖 朝顔(あさかほ)にて、光源氏が老婆となった今も衰えぬ源典侍にかけた言葉「その世のことは みな昔語りになりゆくを はるかに思ひ出づるも 心細きに うれしき御声かな 親なしに臥せる旅人と 育みたまへかし(あのころのことは皆昔話になって、思い出してさえあまりに今と遠くて心細くなるばかりなのですが、うれしい方がおいでになりましたね。『親なしに臥(ふ)せる旅人』と思ってください。与謝野晶子訳)」はこの歌をふまえたものである。返し歌は「いかるがや富緒河の(とみの小川の)絶えばこそ我が大君の御名をわすれめ」
^ 『日本書紀』編纂当時は、死穢・触穢を忌避する観念、風習は未発達であると考えられるが(『日本書紀』皇極天皇元年五月乙亥日条参照)、疫病は恐れられていた。『荘子』大宗師篇第六に「真人」について詳説する部分がある。また、遺体の消滅は仙人尸解仙(しかいせん)にも類似し、『新約聖書』も想起させる。大山誠一は、『日本書紀』の推古紀と道教に関心が深かった長屋王や道慈との関係について仮説を提示している[要出典]。
^ 叡福寺の「聖徳太子絵伝(しょうとくたいしえでん)」七幅(南北朝-室町時代の制作)は2008年に修復が完成した。
^徒然草』第六段に次の一文がある。「聖徳太子の御墓(みはか)を、かねて築(つ)かせ給(たま)ひける時も、「ここをきれ、かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり。」と侍(はべ)りけるとかや。」
^ 1675年延宝3年)、聖徳太子の憲法には「通蒙憲法」「政家憲法」「儒士憲法」「釈氏憲法」「神職憲法」の五憲法が存在し、「通蒙憲法」が十七条憲法であると説く『聖徳太子五憲法』と称する書が現れた。『聖徳太子五憲法』は1679年延宝7年)に現れた偽書『先代旧事本紀大成経』巻七十「憲法本紀」と同じ内容である。
^ 原文:「佛智不思議の誓願を 聖コ皇のめぐみにて 正定聚に歸入して 補處の彌勒のごとくなり」
^ 原文:和國のヘ主聖コ皇 廣大恩コ謝しがたし 一心に歸命したてまつり 奉讚不退ならしめよ
^ 和国の教主とは、日本に生まれて正法を興した主。釈尊を教主世尊と崇めるのに準じて、太子を日本の教主と尊称する。(名畑應順親鸞和讃集』p.198)
^ 江戸時代の公家である野宮定基は元禄元年11月5日の日記において、「世間では聖徳太子は聡明だと称されて尊敬されているが自分が違うと思う」と述べ、蘇我馬子が崇峻天皇を殺害したときに何もしなかったこと、聖徳太子が仏教を広めたことで神仏習合が起こり神道が有名無実となったことを批判した上で、「聖徳」ある者がそのようなことをする訳がない、と書き記している。そして、将軍や摂政以下皆が仏法を尊んでいることを嘆く仏教批判へと話を広げていく。ただし、当時の江戸幕府が朝廷を統制し、仏教界とも密接である(寺請制度など)中でこれらの意見を公言することは危険であるとの認識から、死後に焼却して欲しいとも書き記している[39]
^ 「それに國書の如きも隋書に載れる 日出處天子致書日沒處天子無恙云々 の如きは、其の語氣から察するに、恐らく太子自ら筆を執られたものであつたらしく、全然對等の詞を用ひられたので、隋の煬帝の如き、久しく分離した支那を統一したと謂ふ自尊心を持つて居る天子をして、從來に例の無い無禮な國書だと驚かしめたのである。」(「聖徳太子」『内藤湖南全集第九巻』(筑摩書房、1976年[要ページ番号]))
^ 関晃は偽作説の根拠はあまり有力とはいえない」とする。『世界大百科事典第二版』平凡社[要ページ番号]
^ 高森明勅國學院大學講師)は「大山氏の方法論の致命的な欠陥は、「日本書紀以前に確実な史料がなければ、日本書紀に描かれた人物であっても虚構だ」、と言っていること」と述べている(「歴史教科書10の争点」レポート高森明勅「日本の国柄をつくった聖徳太子」[要ページ番号] )。
^ 安本美典は次のように述べている。「失敗をくり返してきた19世紀的文献批判学に対して、海外では、すでに多くの再批判がおこなわれ、たとえば、『数理哲学の歴史』の著者のG・マルチンは、「自分自身に対して無批判な批判」と鋭く論評してる。しかし、日本では、いまもなお、津田左右吉流の擬古派的な主張をする学者が少なくない。擬古派的な考え方は、くりかえし、事実によって粉砕されてきたが、日本では、第二次世界大戦中の『古事記』『日本書紀』をそのまま信ずべしとする教育に対する反動から、擬古的な考えがいまだに強く、結果的に世界の趨勢からいちじるしくたちおくれた議論が、あいかわらず強調される傾向が続いている。「聖徳太子は実在しなかった」「大化の改新は偽りである」など、擬古派の立場でさまざまな本が出版される背景には、日本のこのような事情があるのである。」(邪馬台国の会 講演会記録第249回聖徳太子は実在した (2006.9.24[要ページ番号]))
^ また、用明、崇峻、推古の王朝とされる時期には蘇我馬子の王権が存在したとする仮説(蘇我王権説)を提示している
^ 三浦佑之(立正大学教授)は大山の聖徳太子論に賛成している[1]。
^ 「奈良時代の前半には上宮太子を「聖徳」と称するのは死後に与えるとする理解があり、さらに、慶雲3(706)年以前に「聖徳皇」と呼ばれていたとする金石文もある。加えて『古事記』には没後の名前と考えられる「豊聡耳」の称号、および「王」号ではなく後に即位した王子にのみ与えられる「命」表記を含む「上宮の厩戸豊聡耳命」の記載があり、遅くとも『日本書紀』成立以前の天武朝までには偉人化が開始されていた」と指摘した[要出典]。
^ 和田は、聖徳太子が日本書紀の編纂段階で理想化されたことは多くの人が認めており、厩戸王と(脚色が加わった)聖徳太子を分けて考えるべきとする指摘は重要としながらも、そのことが「聖徳太子虚構説」や「蘇我王権説」につながるわけではないとする。
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