聖公会
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清教徒革命中の1646年には、カルヴァン主義に基づく『ウェストミンスター信仰告白』がイングランドスコットランドに共通する教条として宣言されたが、1660年王政復古によって廃止された。その後、1689年名誉革命ののち、スコットランド国教会においてはこの教条が再度採択され、世界中の長老派教会において教条とされて現代に至るが、イングランド国教会および聖公会の諸教会においては教条としていない。

「教会一致のための最低条件」として全聖公会が信認する教条としては、1886年シカゴで開かれた米国聖公会の総会にて可決され、2年後の1888年に開かれた第3回ランベス会議で承認された、「シカゴ?ランベス四綱領(英語版)」[5][6]がある。

「シカゴ?ランベス四綱領」要約

救いに必要な全てのことを載せたものであり、信仰の規範と究極の標準としての旧約新約聖書

洗礼の象徴としての使徒信経と、キリスト教信仰の十分な宣言としてのニケヤ信経

キリストの制定語と彼によって命じられたエレメント(洗礼における水、聖餐におけるパンとワイン)を間違いなく使って執行される、キリストご自身の制定にかかる洗礼主の晩餐の二つのサクラメント

神がご自分の教会の一致の中に召された国民や人民の様々な必要に対応して、その運用方法を地方的に適合させる歴史的主教職。

ハイ・チャーチ、ロウ・チャーチとブロード・チャーチ

聖公会には、伝統的な典礼を重んじカトリック的な傾向が強い「高教会派/ハイ・チャーチ/アングロ・カトリック」(High church/Anglo-Catholic)と、福音主義的でプロテスタント的な傾向が強い「低教会派/ロウ・チャーチ/エヴァンジェルズ」 (Low church/Evangels) 、またその中間的な姿勢で自由主義的な「広教会派/ブロード・チャーチ/リベラルズ」(Broad church/Liberals)があるが、これは正式な教会組織ではなくて、いずれも同じ主教の監督下で運営されている。元々、聖公会はクエーカーメソジストなどプロテスタントの多くの教派を生み出した母体で、様々な考えの人々を許容・包含している。よって、各々の教会によっては無論、さらにその中でも各聖職者や信徒個人によって濃淡はまちまちである。

また、ハイ・チャーチ⇔ロウ・チャーチという分類はあくまで典礼面において伝統的であるか否かであり、社会的思想や組織体質、また神学的理解においての保守的⇔革新的な傾向とは必ずしも一致しない。典礼面では伝統的でありながら、思想的にはリベラル傾向である教会・聖職者や、その逆のケースも多々存在する。
アングリカン・コンパス・ローズ

アングリカン・コミュニオンのエンブレムコンパス・ローズは、1954年、米国ミネソタ州ミネアポリスの聖マルコ大聖堂で開催された第2回国際聖公会会議のために作られ、1988年に現在のデザインにリニューアルされて、第12回ランベス会議中にカンタベリー大聖堂の床に置かれた[7]。中央は、イングランドの国旗である聖ジョージ十字。十字架の周りに「真理はあなたたちを自由にする」(『ヨハネによる福音書』第8章32節)[注 2]ギリシア語で刻まれており、コンパスは聖公会の世界中への広がりを思い起こさせる。一番上のマイター(主教帽)は、教会の核心にある主教制と使徒継承を象徴している[6]
教義・様式両脇の4名はアコライト(侍者)。中央左側の司祭はアルブと白のストールを着用し、中央右側の主教は白のチャジブルと金色のマイター(主教帽)を身に着け、牧杖(パストラル・スタッフ)を持っている。立教学院諸聖徒礼拝堂
典型的・伝統的な聖公会の聖堂内観草津聖バルナバ教会
門の上に聖母マリアの彫像がある
中道(Via Media)の教会

聖公会は宗教改革の中からイングランドで生まれたイングランド国教会を母体とする一教派であるため、広義のプロテスタントに含まれると見なす(あるいは自認する)見解もある[8]が、典礼様式や組織構造など外面的な部分に関しては他のプロテスタント教会と大きく異なり、むしろカトリック教会と非常に近しい(ともすると、第2バチカン公会議以降の現代カトリック教会以上に古式を残している場合さえある)。カトリック教会とプロテスタントの中間というのが実態であり、一般的には「中道(ラテン語: Via Media/ヴィア・メディア)」の教会・「ブリッジ・チャーチ(架け橋の教会)」であると自認している[6][9]

「Via Media」とは、エリザベス1世時代にイングランド国教会の教義確立に大きく貢献した神学者リチャード・フッカーが使い始め、のちにオックスフォード運動の先導者ジョン・ヘンリー・ニューマンらが肉付けした言葉である[10]。これは単に「中間的」という意味ではなく、正確には「あれでもなく、それでもない」、「これでしかない」という明確な主張を表現する言葉である[11]。ローマ・カトリック教会の伝統絶対主義・教皇絶対主義も、ピューリタン急進的プロテスタント)の極端な「聖書のみ」・聖書絶対主義も採らず、「あらゆる絶対主義を否定する」という点が根幹である[12]。また、「途上にある」という意味も込められており[13]、「ドグマティックな結論を出さず、不完全性をむしろ誇りとして、多様な考え方を認めて共に考え続ける」、「真理の道を歩み続ける」といった含意もある[9]
カトリック的な側面「カトリック (概念)」も参照

歴史的主教制[14]監督制):聖職者を平信徒と明確に区別し、主教(Bishop)・司祭(Priest)・執事(Deacon)の三聖職位制を保っており、使徒継承性を自認している。

管区教区があり、必ず主教によって統括される。

修道士修道会制度が存在する(一旦ほとんど廃止され、19?20世紀になってから復興された[15])。アングリカン・ベネディクト会、アングリカン・フランシスコ会などが存在する[16]

聖職者の祭服アルブストールなど)や、聖堂の様式(ほとんど必ず中央奥に祭壇と聖卓がある)などはカトリックとほとんど同じである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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