聖アウグスチノ修道会
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日本

日本には1584年に初めて上陸し、キリシタン迫害の時代には多くの殉教者を生んだ。そのうち金鍔次兵衛神父は、2008年11月24日長崎県長崎市長崎県営野球場で行われた列福式で福者に列せられた[4]

1952年になるとアメリカ合衆国ペンシルベニア州におかれているヴィラノヴァ管区からトマス・パーセル神父をはじめとした3名の会員が宣教師として長崎に送られ、活動を再開した[5]。その後、長崎市の城山教会をはじめとして[6]福岡の笹丘教会、名古屋の港教会、東京の葛西教会で小教区司牧を行い、また幼稚園や小・中学校の経営にも当たっている。1996年になって日本宣教地区はヴィラノヴァ管区に属する日本分管区(正式名称:日本殉教者分管区)として認可され、分管区本部は城山教会に置かれた。なお、聖アウグスティヌスの会則は、アウグスチノ会のみならず、ドミニコ会や聖母被昇天修道会(R.A.)など、多くの男女修道会によって取り入れられている[7]
著名なアウグスチノ会士

カッシアのリタ 15世紀イタリアウンブリア地方の修道女、聖痕者、聖人。 

マルティン・ルター

金鍔次兵衛 キリシタン時代の司祭、福者、殉教者で、「ペトロ岐部と187殉教者」のひとり。

アンナ・カタリナ・エンメリック 19世紀ドイツの修道女、幻視者、福者。

グレゴール・ヨハン・メンデル

脚注^ a b c d 上智学院新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典 第1巻』研究社、1996年、34頁。 
^ 上智学院新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典 第1巻』研究社、1996年、36頁。 
^ “UNESCO Memory of the World Register”. UNESCO. 2023年5月27日閲覧。
^ “ ⇒188殉教者列福式:「大いなる喜びの日」「恐れずに進もう」”. バチカン放送局 (2008年11月24日). 2023年5月27日閲覧。
^ “キリシタンゆかりの地をたずねて”. Laudate. 2023年5月27日閲覧。
^ “ ⇒教会の歩み”. カトリック城山教会. 2023年5月27日閲覧。
^ “ ⇒聖アウグスティヌスについて”. カトリック港教会. 2023年5月27日閲覧。

外部リンク

カトリック城山教会(長崎県)

カトリック笹丘教会(福岡県)

聖アウグスチノ修道会・総本部(ローマ)










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