1935年(昭和10年)7月25日、翠川は家から姿を消す。同居していた長男、長女は、翠川が突然旅に出ることが時々あったため気にしていなかった。しかし、日本郵船の平安丸に乗務していた次男が、翠川から「亡き父さんへの責任は果たした」、「妾(わたし)は疲れた」と綴った手紙が届いたことを不審に思い、下船後に兄弟3人で家中を探したところ、「海の底から子どもたちの幸福を永遠に祈っている」、「私の家出した日を命日としておくれ」等と記した遺書を発見。8月6日に警察に届け出て、直ちに捜索が行われた。当初は、自殺のための単独での家出かと考えられたが、8月19日、千葉県安房郡館山北条町(現在の館山市)の旅館に夫婦と称して滞在していた男女が、貸しボートで館山湾外に出たまま行方不明になったと届け出があり、20日午前7時半頃、安房郡西岬村(現在の館山市)坂田海岸に女性の遺体が漂着しているのが発見されて、その後の捜査で女性は翠川、男性はおでん屋の常連だった年下の東京市・蒲田区(現在の大田区)役所職員であることが判明。心中であったことが明らかになった[1][3]。
脚注^ a b c d e f g 小池新 (2020年8月2日). “日本初の女性アナウンサーが子どもをおいて年下男子と失踪、海へ……「翠川秋子心中事件」とは”. 文春オンライン. オリジナルの2020年8月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200802112923/https://bunshun.jp/articles/-/39412
^ a b c “日本初の女子アナ 1年で退社し9年後年下男性と心中した”. 女性セブン. (2013年1月29日). オリジナルの2020年12月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20201201215137/https://www.news-postseven.com/archives/20130129_168284.html?DETAIL
^ a b c 小池新 (2020年8月2日). “日本初の女性アナウンサー・翠川秋子は、なぜ元ラガーマンの好青年と"心中”を決意したのか”. 文春オンライン. オリジナルの2020年8月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200802092037/https://bunshun.jp/articles/-/39417
^ 国広陽子 (2008年8月29日). “みんなの憧れ「女子アナ」”. イミダス. 集英社. 2021年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月9日閲覧。
参考文献
澤地久枝『続・昭和史のおんな』文藝春秋、1983
関連項目
日本のアナウンサー一覧
自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧