この項目では、東京都大田区の町名について説明しています。空港については「東京国際空港」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 東京都 > 大田区 > 羽田空港 (大田区)
羽田空港(はねだくうこう)は、東京都大田区の町名。現行行政地名は羽田空港一丁目から羽田空港三丁目。郵便番号は144-0041[3]。
現在は東京国際空港(通称:羽田空港)及び関連施設の敷地が多くを占めるが、かつては穴守稲荷神社や羽田穴守海水浴場、羽田競馬場などを中心とした首都近郊の一大観光地として知られた。 大田区の沿岸部に所在し、多摩川を挟んで神奈川県川崎市川崎区浮島町・殿町、海老取川を挟んで羽田・羽田旭町・東糀谷・大森南、京浜運河や東京湾を挟んで昭和島・京浜島・城南島・令和島などと接する。 今の羽田空港一丁目・二丁目付近にあたる地域は「羽田浦」などと呼ばれ、元禄・天明の頃には葦が一面に密生した干潟であった[5]。此地の眺望、最も秀美なり。東に滄海満々として旭日の房総の山に掛かるあり、南は玉川泥々として清流の冨峯の雪に映ずるある。西は海老取川を隔てて、東海の駅路あり、往来絡繹たり、北は筑波山峨々として、飛雨行雲の気象萬千なり。此島より相州三浦浦賀へは、午に當たりて海路凡そ八九里、南総木更津の港へは巳に當たりて海路八九里、南北総の界は卯に當たりて海路十三里計りを隔てたり、冨峯は西の方に見ゆ ? 『江戸名所図会』より(文化五年十二月)十七日、空くもりて日の出るを見ず。巳の時ばかりにやどを立ちいづ、野羽織半天を服し股引を穿ち草鞋をつく。六郷のわたりをこえて、八幡塚村の内ところどころ堤のくづれたる所おさむべきために、名主案内して、間棹をもて丈量す。 雑色村より羽田村までの道あししとて、日よけ船にのりゆく。ややありて猟師町にいり、羽田の方にむかふ。蝦取橋といふを渡りて、羽田の弁天の前なる棚橋をわたり、社に入る。 玉川弁財天といふ額を掲ぐ。ここは要島といふ所なり。別富を金生山龍王院といふ。年頃此神の宮居を遠くのぞみて一度もまうづる事なし。今日はからづもここに来れるを思ひて、白銀一つぶをささぐ。宇賀神の小祠あり、御穴宇賀神といふ。ここに常燈籠の高きありて、入来る船の目じるしとせしも、近頃はたえて、そのかたばかりを残せり ? 『調布日記』より 当時の羽田一帯は、江戸近郊の漁師町として栄え、東に江戸湾を隔てて房総諸山を望める海浜の地であり、西には富士山を仰ぎ、南は多摩川に接し、北には品川越しに江戸市中を目にすることができる風光明媚な土地であった[6]。
地理
河川
多摩川
海老取川
京浜運河
歴史「鈴木新田 (大田区)」、「羽田町」、「東京国際空港」、および「穴守稲荷神社」も参照
鈴木新田