主な競技成績は、オリンピック2連覇(2014年、2018年)、世界選手権優勝2回(2014年、2017年)、グランプリファイナル4連覇(2013年、2014年、2015年、2016年)、2020年四大陸選手権優勝、2010年世界ジュニア選手権優勝、2009年ジュニアグランプリファイナル優勝、全日本選手権優勝6回(2012年、2013年、2014年、2015年、2020年、2021年)など。
フィギュアスケート競技の男子シングル史上初めてスーパースラムを達成した選手であり、ディック・バトン以来66年ぶりにオリンピック連覇を達成した選手である。また、ショートプログラム・フリースケーティング・総合得点の全てにおいて、2018年のルール改正以前の歴史的世界最高得点(英語版)を保持している。
概要
略歴詳細は「#来歴」を参照
4歳からスケートを始め、15歳で世界ジュニア選手権優勝を果たす。2010年からシニアクラスに移行し、2012年世界選手権では17歳で初の銅メダルを獲得した。2013年グランプリファイナルでシニア主要国際大会初の優勝を飾ると、2014年ソチオリンピックではショートプログラムで史上初となる100点超えを果たし、男子シングルではアジア人選手として初の金メダルを獲得した。さらにその1か月後には世界選手権で初優勝を果たし、アレクセイ・ヤグディンに続きシーズン中にグランプリファイナル・オリンピック・世界選手権を制した史上2人目の男子選手となった。
2014年には日本男子史上初のグランプリファイナル2連覇を達成。2015年NHK杯では史上初となるフリースケーティング200点超え、総合得点300点超えを果たし、さらにその2週間後のグランプリファイナルでも再びその記録を更新し3連覇を果たした。2016年オータムクラシックにて史上初めて4回転ループジャンプを成功させ、グランプリファイナルでは男子史上初の4連覇を達成。2017年には2度目の世界選手権制覇を達成した。2017年NHK杯直前に右足首を負傷したものの、その3か月後の2018年平昌オリンピックでは1952年大会のディック・バトン以来66年ぶりとなる連覇を達成した。
2020年には四大陸選手権を制したことで主要国際大会6大会を全て制し、男子シングルでは史上初のスーパースラムを達成した。2022年北京オリンピックではオリンピック史上初めて4回転アクセルジャンプに挑戦。同ジャンプは転倒したもののアンダーローテーション(4分の1回転以上2分の1回転未満の回転不足)と判定され、それまでの国際大会での挑戦の中では最も回ったジャンプとなった[注 1]。
2022年7月にはプロスケーターに転向し、11月には史上初となるアイスショー単独公演『プロローグ』を開催した。2023年2月には史上初の東京ドーム公演『GIFT』を開催し、2023年11月からは史上初のアイスショー単独ツアー『RE_PRAY(リプレイ)』を開催している。また、羽生自身が撮影・編集を手掛けたYouTubeの動画投稿も行っている。
記録・受賞詳細は「#記録」および「#受賞・栄典」を参照
史上初めて成功させた4回転ループに加え、3回転アクセル-1回転オイラー-3回転サルコウ、4回転トウループ-1回転オイラー-3回転サルコウ、4回転トウループ-1回転オイラー-3回転フリップなどの3連続コンビネーションジャンプや、4回転トウループ-3回転アクセルのジャンプシークエンスを史上初めて成功させている。
2017?18シーズンまでに羽生が記録したショートプログラム112.72点、フリースケーティング223.20点、総合得点330.43点は、2017?18シーズンまでの歴史的世界最高得点として保存されている。2018年以前も含め、羽生は2019?20シーズンまでに計19回世界最高得点を更新し、世界ランキングは2013?14シーズンから2017?18シーズンまで5シーズン連続で1位を記録した。
オリンピック連覇後の2018年6月、「多くの国民に夢と感動を、社会に明るい希望と勇気を与えた」として、個人では史上最年少となる国民栄誉賞を受賞した。また、2014年と2018年には紫綬褒章を受章。他にも第1回ISUスケーティングアワードの最優秀選手賞を受賞するなど、キャリアを通じて多くの賞を受賞している。 1994年12月7日、宮城県仙台市泉区に生まれる[3][4]。
人物