羽佐間道夫
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3年後に高輪へ戻り、終戦後は新橋駅近くで物を売って生計を立てた[13]
キャリア

東海大学の付属中学校在学中に演劇部へ入部し、当時は宇野重吉滝沢修らを目標としていた[11][12]。その後、ほかにやることもなかったため、役者を志して舞台芸術学院[14]に5期生として入学[7][11]。卒業後は新協劇団(現・東京芸術座)に入団した。在団時は薄田研二に育ててもらったという。その頃、寄席の切符売りのアルバイトをしていたが、当時の売り場は顔が見えず壁に空いた手を出す穴だけで応対をしており、当時の客層から「女性の切符売りの方が評判がいい」と考え、女性のような高い声で応対をした。後に「それが最初の声優の仕事かもしれない」と回想している[12]。また、名人の落語を毎日聞く内に、「客の人数によって話の間を変える」「話の間の開け方で異なる人格を演じ分ける」などの技法に面白さを感じ、外国映画を吹き替える際の「向こうの役者の話す間をアドリブなどで臨機応変に喋ることで埋める」という作業に応用できた述懐している[15]

1957年に日本テレビから「ヒッチコック(ニッカ ヒッチコック劇場の第1期)をやるんだけどやってみないか」と声を掛けられ[16]、その後、文化放送に勤めていた幼なじみの岡田太郎[注 1]から誘われ、短時間でそこそこ稼げる割のいいアルバイトとしてラジオドラマに出演するようになる。その後、出演したラジオドラマを聞いた関係者からの誘いで『ホパロング・キャシディ』の吹き替えをすることになった。当時はコンテンツ不足から海外ドラマの放送が増える一方、吹き替えをやる役者が300人ほどしかいなかったため[16]、羽佐間に吹き替えの仕事がたくさん回ってくるようになったという[12]。以降は声優の草分けの一人として活躍するが、20代の頃は舞台稽古を中断して収録に向かうことが多く、他の劇団員から裏切者扱いされて、白い目で見られることもあったという。しかしながら、演劇の稽古は金にならないが声優の仕事は金になるという現状と、結婚をして家族を養う必要から、次々と来る声優の仕事を懸命にこなす日々を送る[17]

劇団中芸[18]、風船ぐるーぷ[18]太平洋テレビジョン芸能部[19]東京俳優生活協同組合創立メンバー[20]を経てムーブマン代表取締役

2001年、ナレーションの功績により部門がないにもかかわらず第18回ATP賞個人部門で賞を受賞。2008年、第2回声優アワード功労賞を受賞[21]
人物

声種バリトン[22]

兄は元NHKアナウンサー羽佐間正雄[6]。従兄にフジサンケイグループ代表などを歴任した羽佐間重彰がおり、三浦環の親戚でもある。

様々な役をこなす芸域の広さから、かつては「困ったときの羽佐間」と呼ばれていた。のちにその役割は後輩の山寺宏一に移行している[23]

主に吹き替えで活躍。持ち役にはロイ・シャイダーディーン・マーティンシルヴェスター・スタローンダニー・ケイピーター・セラーズポール・ニューマンマイケル・ケインジェームズ・カーンマルチェロ・マストロヤンニアル・パチーノロバート・デ・ニーロジョージ・ペパードスティーブ・マーティンチャールズ・グローディンジェームズ・ガーナーなどがあり、本人によると「280人くらいのハリウッドスターを演じている」とのこと[24]
仕事に対する姿勢

声優の仕事は、「形あるものに色を塗っていく仕事」であることから「塗り絵師」と例えている。また、塗り絵師として「パレットに色がたくさん入っていないといい芝居はできない」と語り、音楽や小説、古典芸能など見聞を広めるという[25][26]

吹き替えでは、リップシンク(口の動き)より役者と呼吸を合わせることを重視している[25]

役作りについては、事前に作り込みすぎると、相手に芝居で裏切られ面白みに欠けることもあるため、当日に現場で作る部分が大きいという[24]

近年の個別収録の増加に対しては疑問を呈しており「共演者と言葉や間がかみ合わないため、感情の起伏が表現しにくい」「アンサンブルで後身を育てる場がなく、若手は台本通りを意識しすぎ、セリフに抑揚が少なくなる」と述べている[27]。また、個別収録の場合は収録音声を再現する音響監督の手腕も大切だとしている。

日本語について「母音が強いから、セリフとセリフの空間の美しさみたいなものがあるんですよ」と語っている[24][26]。また、近年の若手声優に対して「子音を優先しているのかどうかわからないけど、だいぶ文化的に差が出来てきたかな。この日本語はこうしたらなっていうのも、現場の中から生まれる雰囲気があったけど、今はだんだん希薄になってきたんじゃないかなあって気がするんですよね」と語っている[24]

アニメによる声優ブームについては「後世の人が語る事」「悪いことではない」と前置きした上で、「犠牲的な側面があるとすれば、人間の言葉をパターン化してしまった」「数十人、数百人の若手が一時的に大変人気が出て活躍するけど、10年前の人が今残っているかというと、ごく限られた人しかいない。一人の俳優として存在していないんじゃないかという思いはある」と語り、「長く飽きられずに進化していくためには、個性を自分で発見していくと同時に、仕事仲間より家族に言われたことを頭に留めておくのも大事」と助言し、「俳優は自分の身体で演じるから年齢がいくとその年齢の役しかできなくなるが、声優は外国の人だったり、自分にはない体格の人、人ではない者にもなれる。鍛錬さえ勤しんでいれば何歳でも、いろんな人物に化けられるのが声優の魅力。声色を変えなくても、テンポやアクセント、登場人物の心拍数を掴めば、同じ声でもリズムを変えるだけで、流れが変わることを相手に表現できて、伝えられる。声優というのは、化けるというのは、奥が深いんだよね」と語っている[28]
エピソード

同世代の仲間からの愛称は「ミッキー」。2019年に小林清志と対談した際「俺のことをミッキーなんて言ってくれるのはもう殆どいない」と述べている[29]

矢島正明は吹き替えの名人として羽佐間の名前を挙げており「ダニー・ケイ(の吹き替え)なんて他の人にはできないでしょう」と語っている[30]

山の手空襲により、親戚7人が犠牲となった[4]

日本テレビの『スーパーテレビ情報最前線』の美空ひばり特集は彼自身がナレーションの他、プロデューサー・演出も担当している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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