群狼作戦
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作戦海域を指定し、幾つかの哨区に分割する[注 1]。各狼群に割り当てされる哨区の広さは400から600平方マイルであった。

敵を探知、発見した場合は直ちに僚艦に通報し、極力協同して攻撃する。

僚艦との会合は主としてレーダー波による誘導を用いる。

フラッキー少佐は上記に加えて、独自の戦法を取っていた。
日本の船団には前後に護衛艦が配置されることが多いため、月明りがない夜の攻撃では、1隻が船団前方、2隻目が船団横合いから攻撃する。2隻目は攻撃後逆方向に占位し攻撃を再開する。3隻目は船団の反応など戦況次第で攻撃する方向を変える。各艦は攻撃後浮上航走して船団前方に進出し、前述のローテーションを繰り返す。この方法のデメリットは時間を要することである。

攻撃の鍵は探知発見にあるため、各艦は極力浮上航走し、潜望鏡とレーダーを使用する。重要通信の傍受と充電にも浮上はプラスとなる。危険も高くなるが、受容するべきである。


積極性の背景

伊藤英敏は、アメリカ潜水艦が積極的に浮上攻撃を実施したのは日本側の警戒の薄さを知った上での行動である可能性も指摘している。その傍証として、航空機による警戒がつけられていた場合であっても、レーダーや逆探が装備されておらず、夜間の捜索は目視に頼るしかなかったこと、九六式陸上攻撃機以外の対潜哨戒機は下方視界が不良であったことなどを挙げている(専門の対潜哨戒機である東海は投入が1945年で数も少なかった)。また、伊藤はアメリカ軍が夜間7:昼間3の割合で攻撃を実施し、航跡の残るMk14魚雷を躊躇せず使用し続けたことも挙げている[3]
機密厳守の失敗と教訓

なお、バーブの戦果は1945年1月24日、グアムに置かれた太平洋艦隊前進司令部の日例会議で報告されたが、アメリカ海軍のチェスター・ニミッツ長官は「潜水艦作戦の内容を公表するのは少なくとも60日後とする」と命じた。これは、以前ある政治家にブリーフィングしたところ、その政治家が報道陣に対して「日本海軍の爆雷調定深度は浅いためアメリカ潜水艦の被害は少ない」と喋ってしまい、その後アメリカ潜水艦の被害が激増して10隻ほどを喪失した経験によるものだったという[4]

実際、戦争中期まで本当に日本の爆雷調定深度は浅く、下記のような状態で沈降速度も連合軍の使用した爆雷に比較して遅いものだった[注 2]

九五式爆雷:爆発最大調定深度 60メートル

二式爆雷:爆発最大調定深度 150メートル

三式爆雷:爆発最大調定深度 200メートル

これに対してアメリカ潜水艦は次のような性能を持っており、戦争期間を通じて全般的に性能で優越した艦を投入した。

ガトー級潜水艦:圧壊深度 約200メートル以上

バラオ級潜水艦:圧壊深度 約300メートル以上

マスコミに暴露されるなどの障害があったにもかかわらず、なお勝利に結びつけられた理由は、物量の他、このような質の面での差も影響している。
冷戦期

狼群戦術の使用は冷戦期になると下火となった。近代化された潜水艦は遥かに改良された兵器を搭載するようになり、水中速力も第二次大戦期の潜水艦より向上したためである。潜水艦が大きな部隊を構成する必要はなくなった。代わりに、アメリカ海軍は個々の空母戦闘群に1隻、(稀に)2隻の攻撃型潜水艦を随伴させたのを除いて、攻撃型潜水艦を個艦で哨戒任務に従事させた。弾道ミサイル潜水艦発射弾道ミサイル)を搭載した弾道ミサイル潜水艦も常に単艦で行動した(ソ連の弾道ミサイル搭載潜水艦は入念に防御された海域で行動した)。

しかしソ連海軍では、もともと群狼作戦に興味を持って研究を進めており、ヴィクター型原子力潜水艦(671型)の大量配備によって量と質を兼ね備えたSSN戦力の整備が実現すると、群狼作戦を冷戦時代にあわせて改良した攻撃原潜群戦法を実用に移した。1985年に北方艦隊が行なった大規模演習「アポルト」では、671型1隻、671RT型1隻、671RTM型3隻が参加しており、K-147はベンジャミン・フランクリン級SSBNシモン・ボリバル」を6日間にわたり追跡、K-324も28時間に渡って米SSBNを追跡するなど多くの成果を挙げたが、米海軍はやっと帰投中の1隻を発見するにとどまった。また1987年の「アトリナ」演習では671RTM型5隻が攻撃原潜群戦法を展開し、ロフォーテン諸島付近で米海軍の捕捉を振り切ってアメリカ沿岸に接近した。これに対し、NATO側は通常の哨戒部隊に加えて、アメリカ海軍の空母機動部隊2個とイギリス海軍の空母「インヴィンシブル」機動部隊、米攻撃原潜6隻、哨戒機3群、さらにSURTASS搭載の音響測定艦3隻を投入して対応に追われたが、目標がSSNであることも把握できず、レーガン大統領に対して、多数のソ連SSBNがアメリカ沿岸で行動中との報告を上げる状況であった[5]
イラク戦争

2003年3月のイラク戦争の緒戦で"Wolfpack"という言葉は再度脚光を浴びることとなる。この言葉はアメリカ海軍・イギリス海軍原子力潜水艦紅海に展開し、トマホーク巡航ミサイルによるイラク内の目標への攻撃を実施した際に使われた。「プロビデンス」(SSN-719 )は全ミサイルを発射した最初の艦であり、「紅海狼群の大きな犬」("Big Dog of the Red Sea Wolf Pack")と言う仇名を戴いている。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 例えば南シナ海は4区域に区分された。
^ 爆雷と潜水艦の性能比較については伊藤 1996, pp. 56?57を参照。

出典^ 糸永 1999, p. 48.
^ 糸永 1999, pp. 58?60.
^ 伊藤 1996, p. 58.
^ 糸永 1999, p. 56.
^ Polutov 2005, pp. 27?37.

参考文献

Potter, E. B; Nimitz, Chester W. (1960). Sea Power: A Naval History. Englewood Cliffs, N.J.. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}NCID BA2263772X 

Fluckey, Eugene B. (1992). Thunder Below!:The USS Berb Revolutionizes Submarine Warfare in World War II. University of Illinoi Press. ISBN 978-0252019258 
※米潜水艦の狼群戦法について説明した基本資料。

Jones, Geoffrey『群狼作戦の黄昏』朝日ソノラマ、1990年。ISBN 4-257-17222-3。 

Maas, Peter『海底からの生還』光文社、2005年。ISBN 978-4334761509。 

Polutov, Andrey V.『ソ連/ロシア原潜建造史』海人社、2005年。 NCID BA75840619。 

伊藤, 英敏「日本海軍の海上交通保護作戦?南西方面航路を中心に?」『太平洋学会学会誌』、太平洋学会、1996年7月、NCID AN00355014。


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