美術大学
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結果は次のとおりである[6]。 1位:ロイヤル・カレッジ・オブ・アート、2位:ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ、3位:シティ&ギルド・ロンドン美術学校、4位:スレード美術大学、5位:ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ、6位:グラスゴー美術大学、7位:セントラル・セント・マーチンズ(ロンドン芸術大学)、8位:キャンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツ(ロンドン芸術大学)、9位:エディンバラ美術大学、10位:チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ(ロンドン芸術大学)。
オーストラリア

メルボルン大学ビクトリアン美術学部・メルボルン音楽学部(VCA・MCM学部)

ロイヤルメルボルン工科大学(
RMIT大学

モナシュ大学美術・建築学部

ラ・トローブ大学美術学部

南オーストラリア大学ファインアート・建築・デザイン学部(UniSA)

アデレード中央美術大学[7]

シドニー・アート・スクール[8]

ナショナル・アート・スクール(NAS)

ニューサウスウェールズ大学美術学校(UNSW)

シドニー大学シドニー美術学校(SCA)

グリフィス大学クイーンズランド美術学校

カナダノバスコシア美術デザイン大学

カナダには4つの美術大学がある。それらはオンタリオ美術デザイン大学(トロント)、エミリー・カー美術大学(英語版)(バンクーバー)、ノバスコシア美術デザイン大学(ハリファックス)、アルバータ美術大学(英語版)(カルガリー)である。

エミリー・カー美術大学は、4校の中では最も活動的な研究プログラムを有しており[9]、過去5年間に1,500万ドルの研究投資を行っている。オンタリオ美術デザイン大学の2011年?2012年の研究投資は320万ドルに達した[10]。4校とも幅広い科目を教えており、絵画を始めとして新しいメディア、デザインも扱う。4校ともに公立の学校で、規模が最も大きいのはオンタリオ美術デザイン大学、2番目に大きいのがエミリー・カー美術大学である。過去5年間以上にわたり、エミリー・カー美術大学の在学生・卒業生がカナダ国内のほとんどの主要な賞を獲得してきた。最近のRBC絵画コンペティションでは、オンタリオ美術デザイン大学の卒業生であるヴァネッサ・マルチーズが受賞した。オンタリオ美術デザイン大学は大学院課程の充実化に成功しており、エミリー・カー美術大学もそれに迫る勢いで大学院を整備している。ノバスコシア美術大学の大学院は長い歴史を持っている。
トロントの公立美術学校

クロード・ワトソン美術学校とカレン・カイン美術学校は、オンタリオ州トロントにある公立の美術中等教育学校である。卒業後の進路として、次のような美術系学校がある。アール・ヘイグ・セカンダリー・スクールのクロード・ワトソンプログラム、エトビコーク美術学校、ローズデール・ハイツ美術学校、ウェックスフォード美術学校、カーディナル・カーター美術アカデミー。

ブランプトンのメイフィールド・セカンダリー・スクールには地域美術プログラムがあり、公立の高等教育レベルの美術教育を行っている。
ヨーロッパ大陸の美術学校に相当する教育施設
歴史1720年頃のアカデミーにおけるヌードデッサンの様子。ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの作品。「王立アカデミーにおける会員たちの肖像」、ヨハン・ゾファニーの1771/72年の作品。

美術アカデミーの起源はイタリアに発する。1563年にフィレンツェに建てられたアカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョ(Accademia delle Arti del Disegno、通称「アカデミア」)が、ヨーロッパに初めて作られた絵画アカデミーである。このアカデミアは、トスカーナ大公コジモ1世の庇護のもとで運営されていた。王室の援助によって美術アカデミーを運営するという教育モデルは、ヨーロッパ中で広く取り入れられた。ローマ教皇は1593年、ローマにアカデミア・ディ・サン・ルカ(Accademia di San Luca)を設立し、それに続いてフランス国王は1648年に王立絵画・彫刻アカデミー(Academie de peinture et de sculpture)を作った。これは、今日まで続く芸術アカデミー(Academie des Beaux-Arts)として引き継がれている。

ドイツ帝国における最初の美術大学・アカデミーは、1662年に創設された絵画アカデミーであり、銅版画家のヨアヒム・フォン・ザンドラルトによってニュルンベルクに作られた。17世紀から18世紀後半に設立されたアカデミーでは、諸侯のもと、芸術家は教授として学生を指導した。学校が成功することで領邦の名誉が得られたのである。ヨーロッパの他の国でもアカデミーが登場し、国家の庇護のもとに運営された。1696年にベルリン、1725年にウィーン、1735年にストックホルム、1768年にロンドンで、順にアカデミーが出来た。ドイツにおける著名なアカデミーは、ドレスデン、マンハイム、デュッセルドルフ、ミュンヘンの各領邦に作られた。これらのアカデミーとは対照的に、アウクスブルク美術アカデミーは都市部に作られたが、1755年にはドイツ帝国の特権が与えられ、美術作品の制作・発表を通じて大きなカリスマ性を得るに至った。アカデミーでは学問的訓練と厳格な古典的規則の教授が行われてきたが、18世紀後半にはそういった教育方法を疑問視する反対運動が起き、美術の自由を求める声が上がった。ナザレ派に代表されるグループは、公的な美術の教義から身を引き、新しい表現方法を求めた。19世紀を通じて、アカデミーでの美術教育により確立された絵画に対抗する偉大な個人・変革者が登場した。例えばフランスでは、ドラクロワ、クールベ、そして印象派の画家たちが現れ、国立のアカデミーの外で美術を発展させようという動きを見せた。しかし、同時期には私立の美術学校も「アカデミー」と呼ばれていた(例えば、アカデミー・ジュリアン)。そこでは、国立のエコール・デ・ボザールの入学資格に満たない者が主に学んでいた。20世紀に美術教育が自由化されたため、美術アカデミーは伝統的な美術の擁護者としての役割の大部分を放棄している。
オーストリア

オーストリア最初の美術大学は、1692年に宮廷画家のペーター・シュトゥルーデルの私設アカデミーとして創設された(1725年に、ウィーン帝立・王立画家・彫刻家・建築家アカデミーとして再開した。今日のウィーン美術アカデミーの前身である)。最初の音楽大学は、1819年創立のウィーン音楽アカデミーであり、1909年に公立学校となった(ウィーン帝立・王立音楽舞台芸術アカデミー)。

オーストリアでは、以前に芸術大学だった組織はすべて総合大学になった。現在、6校の国立芸術大学があり、そのうち3校は音楽・舞台芸術に特化しており、その他3校は美術・応用美術を専門としている。また、いくつかの美術アカデミーや音楽学校が高等教育機関として存在している。

グラーツ音楽・舞台芸術大学

リンツ美術工芸大学

ザルツブルク・モーツァルテウム大学

ウィーン音楽・舞台芸術大学

ウィーン応用美術大学

ウィーン美術アカデミー

広い意味で取れば、2004年にできたニューデザイン大学(産業デザイン、グラフィックデザイン、インテリアデザイン)も芸術大学の一つと言える。
スイス

スイスでは、美術大学は応用科学大学に所属している。
スウェーデン

スウェーデンの美術大学の歴史は、18世紀前半に始まる。当時、美術を学ぶ学生は、1735年に創立されたスウェーデン王立美術大学に入学した。1844年には、職人が日曜日に通う美術学校としてスウェーデン国立美術工芸大学(コンストファック)が作られた。今日、コンストファックは学士課程と修士課程を持っており、陶、ガラス、テキスタイル、金属などの教育を行っている。

また、ヨーテボリ大学、マルメ大学、ウメオ大学に付属する美術大学もある。


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