美術モデル
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ヌード・モデルを必要としたが、モデルの女性がなかなか見つからなかったが学校に勤めていた女性が、私ではいかがでしょう?と申し出て、美術学校初のヌード・モデル・デッサンが実現した[4]。宮崎菊という女性が裸婦モデルをしたのが最初とされ、彼女はその後「宮崎モデル屋」を開設し、運営したという[5]。日本では、明治時代には芸用モデルなどとも呼ばれた。美術界では衣服を着用していない女性を裸婦と言う。尚、洋画家・黒田清輝は「裸婦デッサンは絵画制作の基本である」と述べた。ギュスターヴ・クールベ『画家のアトリエ』/1854-1855年。オルセー美術館所蔵。男性美術モデル(中央上部:19世紀・フランス)
制作者側から見た手配

モデルを確保するのは大都市部の美術系大学や絵画教室では比較的容易である。だがそれ以外の地方都市ではかなり困難である(心理的な抵抗を感じる人々が多い)。中高年のモデル希望者も減っており、標準体型か痩せ型の若いモデルが増加している。
需要のある場所、種類別の需要

モデルの需要としては、現在ではモデルを使用するのが絵画系の美大や絵画教室だけでなく、デザイン系、マンガ系、服飾系など様々な学校から個人的なサークル、事業所まである。ヌードモデルから、民族衣装・バレエ衣装などの舞踊衣装・職業制服・ドレス・平服(カジュアルな服装)等の様々な衣装を着用する着衣モデルまで、業務内容も多様である。

プロの美術モデルの場合は、ヌードモデルのみを専門にしているモデルも、着衣モデルのみを専門にしているモデルも存在している。女性ヌードモデルの需要が圧倒的に多い。着衣のモデルの場合、自前の民族衣装やバレエの衣装を用いることも多い。男性モデルの需要はきわめて少なく、女性モデルの需要が圧倒的に大きい。学校によっては女性モデルしか使用しないが、男性を雇用する施設もあり、要は講師の考え方しだいである。
報酬額

美術モデルの謝礼報酬は、大都市部の裸婦モデルで1時間3,000円、地方で1時間2,500円に交通費を加えた額を支払う場合が多い。美術モデル事務所等に所属している美術モデルの場合には、各々の事務所規定の報酬となる。
ルール、暗黙のルール

クロッキー会や絵画教室、美術大学では、裸婦モデルがポーズ中は室内へ入らないことがルールである。エチケットを守って、裸婦モデルに気持ち良く仕事をしてもらうことを心掛けたい。また、ヌードモデル・着衣モデルに関わらず、モデルへのプライベートな質問をしない、というのが暗黙の了解である。
主な美術モデル

アリス・プランオードリー・マンソンオリーヴ・トーマスらが特に有名である。生年、没年は不要。モデルのリストが必要な研究者は、「Category:美術モデル」を参照

。著名な美術モデルとしては、オードリー・マンソン[6]やモンパルナスのキキ[注 1]などがいた。オードリー・マンソンは美術モデルの他に女優や作家も兼業していた。オードリーは1915年11月18日公開のアメリカサイレント映画『Inspiration (en)』で、映像作品で初めてヌードになった女優とも言われている[6]

ジョアンナ・ヒファーナン - 1843年頃?1903年以降。アイルランド人。画家の恋人。クールベの『眠り』でヌードモデルを務めた。

ヴィクトリーヌ・ムーラン - 1844年?1927年。フランス人。美術モデル、画家。マネのモデルを務めた。

カミーユ・クローデル - 1864年?1943年。フランス人。彫刻家。ロダンのモデルを務めた。

イヴリン・ネズビット(英語版) - 1884年か1885年?1967年。アメリカ人。美術モデル、歌手女優

オードリー・マンソン - 1891年?1996年。アメリカ人。美術モデル、女優。女優としては、1915年の映画『inspiration (en)』、1916年の映画『Purity (en)』に出演。

ジャンヌ・エビュテルヌ - 1898年?1920年。フランス人。画家。モディリアーニのモデルを務めた。

オリーヴ・トーマス - 女優、美術モデル。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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