美濃国
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木曾古道記には木曽川より東側にある定勝寺の天文18年(1549年)作の鐘銘には信州木曾庄と書かれてあるのに対し、木曽川より西側にある興禅寺にある承応2年(1653年)作の鐘銘には美濃国恵那郡木曾庄となっていることを述べた上で、天正以来の記録に木曽川より東を信濃国筑摩郡、木曽川より西を美濃国恵那郡と分けていたが、享保9年(1724年)に木曽川の東も西も信濃国筑摩郡木曾と定められたと記されている。

尾張国から美濃国へ移された地域

天正14年(1586年)に木曽川が氾濫して流路をほぼ現在のものに変えたことをうけて、変更された木曽川の北岸と中洲を尾張国から美濃国に移した。現在の地図にあてはめると、北岸は岐阜県のうち境川と木曽川にはさまれた一帯、中洲は各務原市川島にあたる。該当するのは、岐阜市(旧柳津町の一部等)、各務原市(旧稲羽町の一部、旧川島町)と、羽島郡のほぼ全域(岐南町笠松町)、羽島市のほぼ全域、海津市(旧海津町、旧平田町の大部分)である。
三河国から美濃国へ、岐阜県から愛知県へ移った地域

現在の愛知県豊田市の上切町・上中町・下中町・下切町・島崎町・一色町は、元は三河国加茂郡足助庄仁木郷であったが、室町時代にこの地域を支配する領主が、隣接する美濃国恵那郡南部の領主であった明知遠山氏へ娘を嫁がせる際に美濃国恵那郡に化粧料として割き与えたと伝えられている。しかし1955年昭和30年)4月1日にこの地域に存在した岐阜県恵那郡三濃村が岐阜県と愛知県に分裂し、愛知県東加茂郡旭村越県編入された。
国内の施設
国府
美濃国府
国府不破郡(現:垂井町府中)にあった。様々な遺構や遺物が発掘され「美濃国府跡」として国の史跡となっている。
国分寺・国分尼寺
美濃国分寺
上記の国府に近い青野ヶ原(現:大垣市)に建立された。現在の美濃国分寺は江戸時代初期の再興。
美濃国分尼寺
国分寺の南西約1km(現:垂井町平尾)に建立されたとされており、平成16年から発掘調査が行われ尼寺建物の基壇の一部が見つかっている。
神社
延喜式内社
延喜式神名帳』には、以下に示す大社1座1社・小社38座37社の計39座38社が記載されている(美濃国の式内社一覧参照)。大社1社は名神大社である。

多藝郡

多伎神社 (現 多岐神社養老郡養老町

大神神社大垣市上石津町)

御井神社 (養老郡養老町)

久久美雄彦神社 (養老郡養老町)


不破郡

仲山金山彦神社 (現 南宮大社、不破郡垂井町) - 名神大社

大領神社 (不破郡垂井町)

伊富岐神社 (不破郡垂井町)


池田郡

養基神社揖斐郡池田町


安八郡

宇波刀神社 - 宇波刀神社 (安八郡安八町)または宇波刀神社 (安八郡神戸町)に比定。

加毛神社 (安八郡輪之内町

墨俣神社 (大垣市墨俣町)

荒方神社 - 八幡神社 (大垣市墨俣町)または白鬚神社 (大垣市墨俣町)に比定。


大野郡

花長神社 - 花長神社 (現 花長上神社揖斐郡揖斐川町谷汲)または能郷白山神社本巣市根尾)に比定。

花長下神社 (揖斐郡揖斐川町谷汲)

來振神社 (現 来振神社、揖斐郡大野町


方県郡

方縣津神社 - 津神社岐阜市曽我屋)、方県津神社 (岐阜市八代)または縣神社 (岐阜市佐野)に比定。

若江神社 (岐阜市)


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