この時、本来第一水雷戦隊(司令官高橋寿太郎少将:旗艦「龍田」)に所属する第26駆逐隊(柿、楡、栗、栂)と第27駆逐隊(菱、菫、蕨、葦)は[20][21]、第二水雷戦隊(旗艦「夕張」)に臨時編入され、前述のように乙軍として行動することになった[22][23]。指揮系統の違う部隊を組み込んだ臨時編制に、第一水雷戦隊先任参謀小沢治三郎中佐は危機感を覚えた[23]。小沢参謀は連合艦隊司令部に意見具申をおこなったが、加藤長官の意向を受けていた連合艦隊参謀長高橋三吉少将と連合艦隊先任参謀近藤信竹中佐は発令通りの夜間演習を実施した[4][23]。
対する甲軍は、加藤寛治連合艦隊司令長官率いる第一艦隊の戦艦群(長門型戦艦〈長門、陸奥〉、伊勢型戦艦〈伊勢、日向〉)、第二艦隊(司令長官吉川安平中将:戦艦〈金剛、比叡)等と軽巡4隻(鬼怒、阿武隈、龍田、由良)で編制されていた[9][22]。
演習想定は、主力艦隊(甲軍)が舞鶴方面に退却するのを水雷戦隊が追撃するもので、闇の中を全部消灯で秒速27mの大速力を出しながら行う厳しい訓練であった[24]。 同日(8月24日)午後11時過ぎ、第五戦隊第2小隊(神通、那珂)は戦艦部隊を仮想敵(甲軍)にみたてて接近中、戦艦2隻(伊勢、日向)や軽巡複数隻(由良、龍田)等から照射を受けた[25]。特に龍田の探照燈に捉えられた「神通」は攻撃の機会を失ったと判定され、「那珂」とともに右へ旋回する[26]。すると第五戦隊第2小隊(神通、那珂)は後続していた第五戦隊第1小隊(加古、古鷹)および第26駆逐隊(柿、楡、栗、栂)、第27駆逐隊(菱、蕨、葦、菫)の一群に突っ込んだ[27]。
事故発生