美保関事件
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同町沖で行われた第八回基本演習(夜間無灯火演習)において、第五戦隊(司令官清河純一中将:第1小隊〈加古古鷹〉、第2小隊〈神通那珂〉)および第二水雷戦隊(司令官八角三郎少将:旗艦〈夕張〉、第22駆逐隊〈第27号〔皐月〕第28号〔水無月〕第29号〔文月〕第30号〔長月〕〉、第26駆逐隊〈柿、楡、栗、栂〉、第27駆逐隊〈菱、菫、蕨、葦〉、第29駆逐隊〈第11号〔追風〕第13号〔疾風〕第15号〔朝凪〕第17号〔夕凪〕〉、第30駆逐隊〈第19号〔睦月〕第21号〔如月〕第23号〔弥生〕第25号〔卯月〕〉)[14][15]は乙軍を編制し、夜間雷撃訓練を実施する[16][17]。那珂には伏見宮博義王(海軍大尉)が[2]、同艦水雷長として勤務していた[18][19]

この時、本来第一水雷戦隊(司令官高橋寿太郎少将:旗艦「龍田」)に所属する第26駆逐隊(柿、楡、栗、栂)と第27駆逐隊(菱、菫、蕨、葦)は[20][21]第二水雷戦隊(旗艦「夕張」)に臨時編入され、前述のように乙軍として行動することになった[22][23]。指揮系統の違う部隊を組み込んだ臨時編制に、第一水雷戦隊先任参謀小沢治三郎中佐は危機感を覚えた[23]。小沢参謀は連合艦隊司令部に意見具申をおこなったが、加藤長官の意向を受けていた連合艦隊参謀長高橋三吉少将と連合艦隊先任参謀近藤信竹中佐は発令通りの夜間演習を実施した[4][23]

対する甲軍は、加藤寛治連合艦隊司令長官率いる第一艦隊の戦艦群(長門型戦艦長門陸奥〉、伊勢型戦艦伊勢日向〉)、第二艦隊(司令長官吉川安平中将:戦艦〈金剛比叡)等と軽巡4隻(鬼怒阿武隈龍田由良)で編制されていた[9][22]

演習想定は、主力艦隊(甲軍)が舞鶴方面に退却するのを水雷戦隊が追撃するもので、闇の中を全部消灯で秒速27mの大速力を出しながら行う厳しい訓練であった[24]
事故発生

同日(8月24日)午後11時過ぎ、第五戦隊第2小隊(神通、那珂)は戦艦部隊を仮想敵(甲軍)にみたてて接近中、戦艦2隻(伊勢、日向)や軽巡複数隻(由良、龍田)等から照射を受けた[25]。特に龍田の探照燈に捉えられた「神通」は攻撃の機会を失ったと判定され、「那珂」とともに右へ旋回する[26]。すると第五戦隊第2小隊(神通、那珂)は後続していた第五戦隊第1小隊(加古、古鷹)および第26駆逐隊(柿、楡、栗、栂)、第27駆逐隊(菱、蕨、葦、菫)の一群に突っ込んだ[27]


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