美作市
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出典2:気象庁[2]

接している自治体

岡山県

備前市

和気郡和気町

久米郡美咲町

勝田郡勝央町奈義町

英田郡西粟倉村


兵庫県

宍粟市

佐用郡佐用町


鳥取県

八頭郡智頭町


歴史
美作倉敷

市の中心である林野(はやしの)地区は古くから交通の要衝で、戦国時代の頃から吉井川を往来する高瀬舟による物資の輸送が活発に行われた。船着場周辺には商人の蔵が立ち並び、やがて倉敷と呼ばれるようになった。江戸時代になると、最初に津山藩主になった森氏津山城下の商人と同程度の権限を当地の商人に与え、東美作の中心と位置付けられる。森氏改易後は江戸幕府の直轄地になって代官所が置かれ、その後も物資の集散地として繁栄を続けた。

明治時代町村制が施行。1889年英田郡倉敷村(美作倉敷)になり、同時に窪屋郡倉敷村(現・倉敷市備中倉敷)も発足し、岡山県内に二つの倉敷村が誕生した。その後、備中倉敷は紡績工場や鉄道等が作られる等いち早く近代化が進み、二つの倉敷の差は徐々に開いてゆくことになる。

備中倉敷の知名度が上がるにつれ、郵便や荷物の誤配が頻発する問題が発生。美作倉敷宛に正式住所を記載しても4分の1くらいが備中倉敷に送られてしまい、交通機関が未発達であった当時は大変な損害を荷主に与えることが少なくなかった。そして、1918年大正7年)当時の町長が上記の理由から旧郷名の林野郷(はいのごう)に由来する林野(はやしの)町に改名し、備中倉敷に倉敷の名を譲った形となった。(『美作町史』より)
沿革

ここでは、明治時代から平成の大合併による美作市成立までにおける、市町村制施行に伴う合併や編入の変遷についてまとめた。

1889年(明治22年) - 6月1日、町村制施行に伴い、勝北郡大町村・小畑村・久賀村・河内村・真加部村・矢田村・余野村が合併し勝田村となる。

1889年(明治22年) - 6月1日、町村制施行に伴い・吉野郡江ノ原村・下町村・辻堂村・古町村が合併し大原村となる。

1890年(明治33年) - 4月1日、勝北郡勝南郡が合併し勝田郡となる。

1900年(明治33年) - 4月1日、吉野郡英田郡が合併し新たな英田郡となる。

1922年大正11年) - 10月1日、町制施行により、大原村が大原町となる。

1940年(昭和15年) - 11月3日、町制を施行し、勝田村が勝田町となる。

1949年 (昭和24年) - 10月1日、町制施行により、湯郷村湯郷町となる。

1953年(昭和28年) - 4月1日、英田郡林野町豊田村楢原村・勝田郡湯郷町豊国村が合併し英田郡美作町となる。

1953年(昭和28年) - 9月1日、英田郡江見町土居町福山村粟井村吉野村が合併し作東町となる。

1954年(昭和29年) - 3月25日、英田郡(旧)大原町讃甘村大野村大吉村が合併し大原町となる。大字辻堂を仲町に改称。

1954年(昭和29年) - 3月31日、勝田郡吉野村大字豊久田の内、杉原地区が勝田町へ編入(吉野村の残部は他町村と合併し勝央町を新設)。

1954年(昭和29年) - 7月1日、英田郡巨勢村下倉敷地区・海田地区を編入。巨勢村の残部は福本村(のちの英田町)へ編入。

1954年(昭和29年) - 11月1日、英田郡粟広村田殿地区が英田郡美作町へ編入、英田郡粟広村大字長谷内・馬形・宗掛が勝田郡勝田町へ編入。

1955年(昭和30年) - 1月1日、勝田郡(旧)勝田町梶並村が合併し勝田町となる。

1955年(昭和30年) - 2月1日、英田郡福本村河会村が合併し英田町となる。

1956年(昭和31年) - 2月1日、勝田郡公文村安蘇地区・岩見田地区が美作町へ編入。

1956年(昭和31年) - 2月1日、勝田郡公文村の5地区が英田町へ編入。

2004年(平成16年) - 11月6日、英田町制施行50周年式典が挙行、町民ら300人が出席。

2004年(平成16年) - 11月10日、勝田町制施行50周年式典が挙行、町民ら200人が出席。

2005年(平成17年) - 3月31日勝田郡勝田町英田郡美作町大原町作東町英田町東粟倉村の5町1村が合併により「美作市」が誕生し、市制施行。

行政
市長
現職市長


萩原誠司2014年(平成26年)3月30日就任、3期目)

歴代市長

(+印は在職中死去)

代氏名就任年月日退任年月日備考
初代宮本俊朗2005年4月24日2009年4月23日元美作町長
2安東美孝2009年4月24日2013年4月23日元副市長
3道上政男+2013年4月24日2014年2月27日元市議会議長、在任中に死去
4萩原誠司2014年3月30日現職元衆議院議員、元岡山市長

市役所組織

総合支所の管轄地域

市役所と5つの総合支所、2つの出張所に編成されている
[3]

市内の住所は旧美作町と英田町青野(→美作市英田青野)以外、旧町村名を残していない。

※ただし作東町吉田→美作市江見吉田として、昭和の大合併時の旧町名・江見町からの名称を冠することになり、東粟倉村の内、大字青野、大字吉田は東粟倉村の「東」を冠し、東青野、東吉田となった。 
議会
議会
定員・任期

定数:18人

任期:4年
議会構成

議長、副議長

総務委員会:所管部局は、総務部・企画振興部・市民部・消防本部・支所・他の常任委員会の所属に属さない事

文教厚生委員会:所管部局は、教育委員会・保健福祉部・支所

産業建設委員会:所管部局は、農林政策部・産業政策部・都市整備部・支所

議会運営委員会:議会の運営が円滑に行われるように、議事の順序や進め方等を協議する委員会

美作市議会沿革

2005年(平成17年) - 3月31日、合併により「美作市」が誕生。市議会議員の定数を26人と定める。

2005年(平成17年) - 4月17日、無投票だった東粟倉選挙区を除く、5選挙区で市議会議員選挙が行われ、新市議26人が決定する。

2005年(平成17年) - 5月11日、市議会委員会条例を公布。常任委員会に、総務委員会7人、厚生委員会6人、産業建設委員会7人、文教委員会6人を置き、議会運営委員会7人を設置。

2007年(平成19年) - 3月30日、市議会委員会条例の全部改正条例を公布。

2007年(平成19年) - 5月7日、市議会臨時会は、議会申し合わせ事項をめぐり混乱、議長不信任決議案を可決。

2007年(平成19年) - 6月7日、市議会6月定例会が、定数の半数の定足数に達せず流会。

2007年(平成19年) - 6月25日、流会を受けて開かれた臨時会で、委員会廃止条例が議員提案され可決。全国でも例のない委員会のない市議会となる。

2007年(平成19年) - 6月26日、市議会委員会条例の廃止条例を公布。

2007年(平成19年) - 10月22日、市議会委員会条例を公布。常任委員会の名称・定数を、総務委員会7人、厚生委員会6人、産業建設委員会7人、文教委員会6人とし、議会運営委員会7人を置く。

2008年(平成20年) - 1月1日、市議会議員の定数を24人に改め、同日以後初めてその期日を告示される一般選挙から適用する。

2009年(平成21年) - 1月1日、市議会議員の定数を22人に改め、同日以後初めてその期日を告示される一般選挙から適用する。

2009年(平成21年) - 4月24日、市議会委員会の名称・人数を、総務委員会8人、文教厚生委員会7人、産業建設委員会7人、議会運営委員会6人に改める。

2012年(平成24年) - 4月1日、市議会議員の定数を20人に改め、同日以後初めてその期日を告示される一般選挙から適用する


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