羊をめぐる冒険
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同年、飼い猫が12歳で死亡。
鼠の恋人
33歳。1973年に鼠が街を出て別れた。設計事務所に勤務。21歳で結婚し、22歳で離婚している。
羊博士
73歳。1905年仙台生まれ。旧士族の長男で神童。東京帝国大学農学部を首席卒業後、農林省に入省。1935年7月、満州で緬羊視察に出かけ行方不明になり、「羊」が入り込む。日本に戻ると「羊」は抜け、羊博士は左遷され、農林省を辞職して北海道で羊飼いになる。その後いるかホテルの2階に引きこもる
いるかホテル支配人
羊博士の息子。頭の禿げかけた中年男。左手の小指と中指の第二関節から先がない。
十二滝町営緬羊飼育場の管理人
40代後半。新兵教育係の下士官のような外見。
羊男
羊の皮の衣装を頭からすっぽりかぶっている。十二滝町生まれ。戦争に行きたくなかったため隠れて暮らしている。村上は「地霊」みたいなものを意識して書いたと述べている[12]。著者直筆のイラストが本文中に掲載されている[13]
アイヌの青年
「十二滝町の歴史」という書籍に登場する人物。アイヌ語で「月の満ち欠け」と言う名前を持つ。目が暗く、やせている。開拓民を十二滝町に案内するとそのまま留まり、定住に奮闘した。村が発展すると緬羊の飼育に取り組み、日露戦争後は村を離れ牧場にこもって暮らした。享年62。
誰とでも寝る女の子
「僕」は1969年に17歳の彼女と出会い、1970年秋から1971年春まで週に一度会う。25歳で死ぬと言い、1978年7月、26歳で死亡する。
登場する文化・風俗

ファラ・フォーセットアメリカの女優モデル。1973年にリー・メジャーズと結婚した際に、芸名を「ファラ・フォーセット・メジャーズ」とした。「僕」は耳専門のモデルからこう言われる。「ファラ・フォーセット・メジャーズの鼻を見るたびにくしゃみが出る人を知ってるわよ」[14]
ポールモールブリティッシュ・アメリカン・タバコ社が生産・販売するタバコのブランド。「僕」は事務所の応接用のシガレット・ケースからフィルターつきのポールモールを一本取って火をつける[15]
ドイツ・イデオロギー
カラマーゾフの兄弟
静かなドンカール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスとの共著作。黒服と会ったあと、新宿に向かう車の中で「僕」は次のように述べる。「僕は『カラマーゾフの兄弟』と『静かなドン』を三回ずつ読んだ。『ドイツ・イデオロギー』だって一回読んだ。
円周率だって小数点以下十六桁まで言える」[16]
ハイネケンオランダのビール。黒服と会ったあと、新宿の高層ホテルのバーで「僕」が3回注文する。2回目は2本。1978年時点で日本国内での製造販売はなかった(1984年からキリンビールがライセンス生産)。
「僕は高層ホテルの最上階に上って、広いバーに入り、ハイネケン・ビールを注文した」[17]
ジョニー・リヴァーズアメリカの歌手、ミュージシャン。「僕」の家でガール・フレンドは、リヴァーズの歌う「ミッドナイト・スペシャル」「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」「シークレット・エージェント・マン」「ジョニー・B・グッド」などの曲を聴く[18]
荒野の七人』1960年公開のアメリカ映画。ジョン・スタージェス監督。空港に向かう途中、「僕」とガール・フレンドの乗る車の後ろにつけたハイ・エースが『荒野の七人』のテーマ曲のイントロをもじったホーンを鳴らす[19][注 4]。なお同テーマ曲はエルマー・バーンスタインが作曲した。
峠の我が家」アメリカの民謡で、カンザス州の州歌。原題 Home on the Range。「僕」とガール・フレンドは次のような会話を交わす。「ああいう人ばかりが住んでいる場所があるんだよ。そこでは乳牛がやっとこを探しまわってるんだ」「なんだか『峠の我が家』みたいね」[21]
なお短編『ニューヨーク炭鉱の悲劇』にも同曲は登場する。
「私、『蛍の光』って大好きよ。あなたは?」「『峠の我が家』の方が良いな、かもしかやら野牛やらが出てきて」[22]
インベーダー』アメリカのABC系列で1967年から1968年まで放送されたテレビドラマ。


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