経糸のグループ分けや上下させる順序によって、平織・綾織・繻子織等の異なる組織が作られる。平織は経糸と緯糸が1本おき(もしくは同数おき)に交差するのに対し、綾織は経糸と緯糸のいずれかが他方の上を1本、下を2?3本通過することを繰り返し、経糸と緯糸の交差する組織点が斜めの文様を形成する。また繻子は、経糸か緯糸のいずれかがもっぱら表面に出るとともに、組織点が連続しないように計算された織り方である。一般的には平織より綾織、綾織より繻子が柔らかい反面、耐久性に劣る。途中で組織を変えて複雑な織文様を織り出すものもある。 織物には伝統的には大麻や亜麻、葛、楮、木綿、バショウ等の植物繊維や、羊等の毛や蚕糸等の動物繊維が素材として利用されてきた。また、19世紀以降は、技術開発によりさまざまな化学繊維・合成繊維も利用されている。織物はこれらの原料繊維名を冠して、麻織物、綿織物、毛織物、絹織物等と分類されることもある。異なる繊維を使って布を作ることを「繊維の混用」というが、糸の段階で混ぜることを混紡(こんぼう)と呼び、縦糸と横糸を異なる繊維にして織ることを交織(こうしょく)と呼ぶ。日本などでは、部分的に金属箔を加工した金銀糸等を使用することもある。 また、経糸と緯糸の太さや密度、素材を変えることで、畝のある畝織
素材
織りと染色「染織」も参照
織物の大半は染色の行程を伴う。染色には大きく分けて、糸の段階で染める「先染め」と、織った後に染める「後染め」がある。
あらかじめ染められた様々な色の糸を使って縞や格子、あるいはより複雑な文様を織り出す技法は古くから一般的であり、現代でもたとえばチェック柄やタータン等として普及している。タペストリー等では緯糸を横幅いっぱいではなく一部の経糸だけにかけて文様を表現する。錦のように、複数の色糸を組にして1本の緯糸もしくは経糸として扱い、必要な色だけを表面に出すことによって文様を表現する手法もある。縫取織は文様の部分だけに必要な色糸を加えて複雑な多色の文様を表現する。近代にはジャカード織機の発明によって、多色糸で文様を表現した織物を工業的に大量生産することが可能となった。
また、先染めの中でも、事前に絞り染めした糸を使って文様を表現する織物は絣(イカット)と呼ばれる。
後染めには、布全体を染料に浸ける「浸染」や、筆や型紙等を用いて染料を摺りつける「捺染」等がある。浸染によって文様を表現するために絞り染めや板締めによる防染(夾纈)、蝋や糊を用いた防染等の技法がある。筆を使う捺染技法には友禅等があり、型紙を用いるものに更紗等がある。現代ではシルクスクリーンを用いたプリント地の大量生産が行なわれている。
織物技術の歴史古代エジプトで描かれた織り縦糸錘竪機
機織りは旧石器時代には行われていた証拠が発見されている。例えばチェコ・モラヴィア地方のドルニ・ベストニツェの遺跡では不明瞭なものながら織物の圧痕が見つかっている。新石器時代の遺物としては、トルコのチャタル・ヒュユク遺跡から紀元前7千年紀の織物が発見されている[6]。エジプトでも、紀元前5000年ごろと見られるファイユーム出土の亜麻織物の断片や[7]、紀元前3000年?2000年の衣類等が発見されている[8]。ファイユームの断片では1cm四方あたり縦横に12本と9本の糸が使われている。またバダリ文化(英語版)の遺跡等から織物工房を描いた皿等も発見されている。