インターネットラジオ番組に早期から着目し、最初のラジオ「秘密のハ・ナ・ゾ・ノ」から「漢組」シリーズは2001年から8年もの長期にわたり継続した。
2004年4月1日に13歳年下で一級建築士の男性と再婚[20]し、その後二人で購入したマンションで現在(2022年)も暮らしている[11]。
2009年に演劇集団キャラメルボックスの女優坂口理恵と女優兼劇作家の真柴あずきとの3人で、演劇ユニットARMs(あーむす)を結成[21]。
2013年に、第7回声優アワード「高橋和枝賞」を受賞[22]。
2017年2月22日、会員向けに先行してバースデーライブ開催の案内を発表。4月8日より、声優デビュー25周年企画を発表。第1弾「ライブ」、第2弾「クラウドファンディングによる国内と海外での同時にCD販売」、第3弾、第4弾と予定での企画を公開。専用サイトを公開。
2019年2月1日に新たに声優事務所Breathe Artsを設立し代表に就任[23]、同時に完全無料の私塾「Team BareboAt」も開設[11]。
2021年12月、緒方恵美主催によるフェスイベント『Precious Anime & Game Songs Festival』2022年3月の開催に伴い、クラウドファンディングを実施[24][25][26][27]。同年12月31日、『第72回NHK紅白歌合戦』の「カラフル特別企画 ?明日への勇気をくれる歌?」の中で、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジとして白組司会の大泉洋の名前や「逃げちゃダメだ」など、紅白特別仕様の台詞を入れる演出がなされた[28]。
2022年に声優デビュー30周年を迎えた[11]。同年3月5日、第16回声優アワードにて「主演女優賞」を受賞[29]。 父親は東宝に在籍し、宝塚の指揮者やトロンボーン演奏、越路吹雪がいた頃のミュージカル音楽監督などを務め[30]、母親は声楽といった音楽一家で育つ。家にはいつも音楽が流れていて、フルートやヴァイオリン、チェロといった楽器も数十種類あった[31][32]。 秋葉原にあった生家は、細い5階建てのビルとその裏の2階建ての一軒家を連絡通路で繋いで暮らしていた。緒方家は100年続く家業として、日本酒の酒度を測る計器を扱う会社を経営しており、ビル内は会社用スペースと居住スペースが混在していた。その後父が心臓を患い楽器が吹けなくなったため家業を継ぐと同時に、妻と共にビルの1階で喫茶店を経営した[11]。 小学6年生の頃に学芸会の演劇で初めて舞台に立つと周りから演技を褒められ、演じることの楽しさを知った[11]。また、その後映画館で『宇宙戦艦ヤマト』と『銀河鉄道999』[注 2]を鑑賞し、購入したパンフレットを熟読したことで声優という職業の存在を知る[11]。 中学ではハンドボール部に入部し、試合のない土日は両親の喫茶店でアルバイトを始めた。高校進学後、芸能事務所の養成所の入所試験に応募したところ合格し、2ヶ月ほどでドラマや舞台の仕事の話を貰えるようになった。しかし、通っていた高校の規則で在学中の芸能活動は禁止だったことが判明し、芸能活動を断念し程なく退所。この挫折経験が元で本格的に役者の道を志し、高校で友人たちと演劇サークルを立ち上げ、芝居の面白さに嵌っていった[11]。 「高校卒業したらプロの役者になろう」と考えたが父の反対に遭い、大学に通いながら演劇活動をすることを決める。得意科目だけで受験できる大学を探した結果、東海大学海洋学部が当てはまったため、受験し合格。しかし入学間際になり同学部のキャンパスが静岡県沼津市にあると知り、急遽現地の学生寮を契約し入学後から暮らし始めた[11]。
生い立ち
子供時代の家族と生家
10代の頃