総統
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また、「総統(国民指導者)[53]を名乗り事実上の元首に就任した。
インド

自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官スバス・チャンドラ・ボースは、ネータージー(指導者、??????, Net?ji。ネタージ、ネタジ とも)の敬称で呼ばれる。
フィクション

上記のように、全体主義国家・ファシズム一党独裁国家の指導者の称号としての用例が多いため、日本語のフィクション作品(映画、コミック、小説など)においては、ヒトラーをモチーフとしたキャラクター、悪の国家の元首、悪の組織の首領(第四帝国など)に対して総統または類似の称号を名乗らせている事例がある。
脚注^日本国語大辞典』第12巻。このほか、『大漢和辞典』巻8には「全体のことがらをすべ纏める」とある。「総統」の語の出典は、『漢書』百官公卿表の「太師、太傅、太保、是爲三公。蓋參天子、坐而議政、無不總統」から。
^ a b c 松村 2022, p. 「総統」.
^ 小豆畑 2022, p. 「総統」.
^ ブルマ & マルガリート 2006, p. 150.
^第三帝国」とはそもそも哲学上・キリスト教神学上の概念であり、物質的世界精神的世界とを統一した「理想的な人間社会」を指す(『日本大百科全書』「第三帝国」)。ヒトラーは第三帝国という名称を多用した(『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』「第三帝国」』)。
^ a b 南利明 2002, p. 20-21.
^ 南利明 2002, p. 21.
^ 直接的な国家元首就任はドイツ国および国民の国家元首に関する法律(ドイツ語版)によるものであるが、ヒトラーはライヒ新構成法(ドイツ語版)に基づいて全権を掌握したとしている(南利明 2002, p. 21-22)。ただし総統の権限を示した法律は最後まで成立しなかった。
^ 南利明 & 2003-10, p. 69-70.
^ ドイツ国首相としての給与。(“Hitler zahlte keine Einkommensteuer - WELT”. ディ・ヴェルト (2004年12月17日). 2021年10月9日閲覧。)
^ 村瀬、p.208
^ a b c 1942年1月3日から4日のヒトラー談話。(ヒトラーのテーブル・トーク 上 1994, pp. 255)
^ ライヒ首相、ドイツ国宰相などの訳もある
^ a b 南利明 2003, p. 4.
^ 南利明 2003, p. 5.
^ 南利明 2003, p. 19-20.
^ a b 南利明 2003, p. 22.
^ a b c d e f 南利明 2003, p. 21.
^ a b 南利明 2002, p. 161.
^ 南利明 2002, p. 161-162.
^ 1933年7月14日に制定された「民族投票法」による。議会や国民の一定数の支持があれば行えたヴァイマル共和政時代の国民投票とは異なり、投票の発議権は政府のみに存在していた。また民族投票は決定を行う手段ではなく、政府が行った決定を承認する性格しか持たなかった(南利明 & 指導者-国家-憲法体制における立法(一), pp. 82?83)
^ a b c 「独大統領兼摂を民意に問う 大阪朝日新聞 1934.8.4(昭和9)」 - 神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ
^ 南利明 2003, p. 22-24.
^ 間崎万里 1939, pp. 201.
^ 南利明 2002, p. 23.
^ a b 南利明 2002, p. 134.
^ 南利明 2002, p. 134-140.
^ 南利明 2002, p. 167.
^ 南利明 2002, p. 172.
^ 南利明 2003, p. 7-8.
^ 南利明 2003, p. 12-13.
^ 南利明 2004, p. 240-241.
^ ヒトラーは1941年12月19日より陸軍総司令官を兼務していた。
^ 政治犯に特赦令を発布 : なかなか味をやるヒトラー首相1934年(昭和9年)8月11日大阪時事新報
^ 昭和9年(1934年)12月外事警察報第149号
^ 1945年(昭和20年)5月6日付読売新聞(JACAR(アジア歴史資料センター)、Ref.B04013495500、第5?6、31画像目)を参照。
^ 『日本外交文書』特集「太平洋戦争」(全3冊) - 外務省
^ ジョン・トーランド著、永井淳訳 『アドルフ・ヒトラー』(集英社文庫)全4巻
^ 「10.11.6 独逸国総統兼宰相旗等に関する件&SUM_KIND=SimpleSummary&IS_KIND=detail&IS_SCH=META&IS_STYLE=default&IS_START=1&IS_EXTSCH=&DEF_XSL=default&IS_SORT_KND=ASC&IS_SORT_FLD=&IS_TAG_S1=InD&IS_LYD_DIV=&LIST_VIEW=&ON_LYD=on C05034087200」 アジア歴史資料センター Ref.第4672号 10.11.6 独逸国総統兼宰相旗等に関する件 
^ 児島襄『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』
^ 阿部正昭、「ヒトラー政府初期の雇用創出計画(失業対策)について」『経済志林』 2002年 69巻 4号 p.323-351, 法政大学経済学部学会
^ 平井正 1991, pp. 251.
^ 三石善吉「 ⇒トット・アウトバーン・ヒトラー:アウトバーン物語


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