総国
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^ 他に「総」の語源として、フサグ(塞)の語幹で「何かをさえぎる地」のこと、ボサの転で「雑草などの茂み、やぶ」の意、フシ(節)の転で「高所」のこと、クサ(朽、腐)の転で「崩壊地形」を示すなどの説があるが、あくまでも仮の説である(『地名用語語源辞典』「ふさ」の項)。
^ 藤原京から木簡が出土した当初は、「上挟国阿波評松里」と解読されていたが、その後の研究で「上?国阿波評松里」に解読し直された(挟→?)。
^ 下総国海上国造の後裔を称する他田日奉神護が、正倉院文書に遺した「他田日奉部直神護解」には、神護の祖父忍が孝徳期に少領であったことが書かれており、香島評立評に際してこれに同意したことがうかがえる(『古代豪族と武士の誕生』「乙巳の変と評制の施行」の項)。
^ ただし、令制国としての上総国・下総国の成立は、他の令制国と同じく律令制の確立によるものとされる。

出典^ 『日本大百科全書』「総国」の項
^ a b 『千葉県の歴史』「千葉と房総三国の名の由来」の項
^ 長狭国造は『古事記』・千葉国造は『日本後紀』より、他の国造は『旧事本紀』の「国造本紀」より
^ 『古代東国の風景』「大和王権と房総」の項
^ a b 『日本古代史地名事典』「上総国」の項
^ 『古代地名語源辞典』「武蔵」の項
^ 『関東学をひらく』「政商・漆部伊波のこと」の項
^ a b 『藤原京』「藤原京出土の木簡が、郡評論争を決着させる」
^ 『千葉県の歴史 通史編 古代2』第1編第2章「房総三国の成立」
^ 『帝王編年記』巻7 安閑天皇元年(101頁)
^ 『古代地名語源辞典』「総」の項

参考文献

相賀徹夫・編 『日本大百科全書 20』
小学館 1987年。ISBN 4-09-526020-3

石井進他・編 『千葉県の歴史』 山川出版社 2000年。ISBN 4-634-32120-3

原島礼二・著『古代東国の風景』 吉川弘文館 1993年。ISBN 4-642-07394-9

加藤謙吉他・編『日本古代史地名事典』 雄山閣 2007年。ISBN 978-4-639-01995-4

楠原佑介他・編『古代地名語源辞典』 東京堂出版 1981年。ISBN 4-490-10148-1

森浩一・著『関東学をひらく』 朝日新聞社 2001年。ISBN 4-02-257584-0

木下正史・著『藤原京』 中央公論新社 2003年。ISBN 4-12-101681-5

千葉県史料研究財団・編『千葉県の歴史 通史編 古代2』(千葉県、2001年)

黒板勝美他・編『扶桑略記・帝王編年記(新訂増補 国史大系 第12卷)』 吉川弘文館 1965年。

白石太一郎『東国の古墳と古代史』 学生社、2007年、ISBN 978-4-311-20298-8

楠原佑介他・編『地名用語語源辞典』 東京堂出版 1983年。ISBN 4-490-10176-7

森公章・著『古代豪族と武士の誕生』 吉川弘文館 2012年。ISBN 978-4-642-05760-8

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