1960年に連邦政府により、緊急事態に関する基本法改正案が提案された。この改正案は、ワイマール憲法第48条に範をとったものであり、緊急事態において連邦政府に、法律に代わる法規命令を制定し、当該命令により、一定の基本権を制限することも可能とする権限を与えていたため、全会派の反対を受け廃案となった[36]。
その後、新たな基本法改正案が提出され、1968年に改正案が成立し、緊急権制度が導入された[37][38]。その特徴は、ヴァイマル憲法時代の反省に立って、緊急命令の乱用によって政府の独裁を許さないよう、緊急事態においても、連邦政府に緊急命令制定権を与えず、連邦政府の措置をできる限り議会及び連邦憲法裁判所の統制の下に置こうとする点にある[39][40]。また、ヴァイマル憲法のように緊急事態を包括的に規定することはせず、国内の反乱や災害等の内部的緊急事態と外国からの侵略等の外部的緊急事態に分けるとともに[37]、外部的緊急事態については、緊急事態の程度と性格に応じて、「防衛事態」、「防衛事態」の前段階としての「緊迫事態」等に区分し、段階的な対処方法を規定している[39]。
外部的緊急事態については、防衛事態として115a条以下に規定を置いている[37]。防衛事態の確認は原則として連邦議会が連邦参議院の同意を得て行う(115a条1項)[37]。緊急を要し、且つ連邦議会の集会や議決が(解散・総選挙中で)不能の場合には、非常時において連邦議会及び連邦参議院の機能を代替するために常設され、両院の議員で構成される合同委員会にその権限が与えられており(115a条2項)、このような場合には合同委員会に法律を制定する権限が認められている[37](ただし、合同委員会による立法権の行使には一定の制限があり、基本法の改正、全部又は一部の失効、適用の停止は認められていない[41])。ヴァイマル憲法下ではライヒ議会の解散によって結局は緊急事態権の歯止めを失うという事態に陥った反省から、115h条3項は防衛事態の期間中の連邦議会の解散を禁じている[37]。また、防衛事態においても連邦憲法裁判所とその裁判官の憲法上の地位と任務の遂行は侵害してはならないとされており(115g条)、憲法の規範性の維持に配慮する規定を置いている[37]。
連邦議会又は州議会の議員の任期が防衛事態の間に満了する場合は、防衛事態終了後6か月まで任期が延長される(第115h条第1項)[42]。
連邦大統領の任期が防衛事態の間に満了する場合は、防衛事態終了後9か月まで任期が延長される。合同委員会が新しい連邦首相を選出する必要が生じた場合には、連邦大統領の提案に基づき、合同委員会の委員の過半数によって選出する。(第115h条)[43]
防衛事態において制限される基本権としては、職業の自由等(12a条)、移転の自由や住居の不可侵(17a条2項)、通信の秘密(10条2項)、移動の自由(11条2項)などを規定している[44]。なお、緊急事態における人権の制限に対する歯止めについて規定があり、労働条件及び経済条件の維持、向上のための労働争議に対して、軍の投入などの措置をとることができないこととなっている(9条3項)[45]。併せて憲法的秩序の除去に対する抵抗権を明文で規定している(20条4項)[44]。 『東洋大日本国国憲案』においては、「第214條、内外戰乱ある時に限り、其地に於ては一時、人身自由、住居自由、言論出版自由、集會結社自由等の權利を行ふ力を制し、取締の規則を立つることあるべし。其時機を終へは必す直に之を廢せさるを得す」「第215條、戰乱の爲に已むを得ざることあれば、相當の償を爲して民人の私有を収用し、若くは之を滅盡し、若くは之を消費することあるべし。其最も急にして豫め本人に照會し、豫め償を爲す暇なきときは、後にて其償を爲すを得」「第216條、戰乱あるの場合には、其時に限り已むを得さることのみ法律を置格することあるへし[46]」 ? (植木枝盛起草『東洋大日本国国憲案』より) などに見られるように、日本では国家緊急権の制定は、憲法発布以前の私擬憲法(憲法草案)の段階においても既に当然のように想定されていた[46]。 大日本帝国憲法においては、天皇が国家緊急権を行使する規定が制定されていた。緊急勅令制定権(8条)、戒厳状態を布告する戒厳大権(14条)、非常大権(31条)、緊急財政措置権(70条)などである[47][48]。緊急勅令の実例としては、東京周辺にて緊急勅令に基づくいわゆる「行政戒厳」が宣告された例が3例ある[49]。その他に、1928年(昭和3年)の治安維持法改正に際し、改正案が議会において審議未了となったものを、緊急勅令の形で改正した例があるが、これについては、その緊急性に疑義があるとして、緊急勅令の濫用であるとの批判や「非立憲・違憲的行為」との批判があり、政府部内・与党内にも反対論があった[50]。 また、帝国議会は緊急勅令については次?の会期において効力を停止させることができた。大日本帝国憲法8条2項は、緊急勅令は「次?の會期に於?て帝?國議會に提出すべし。もし議會に於?て承諾せざるときは、政府は將來に向けてその效力を失うことを公布すべし」としており、議会がその勅令を承認しなかった場合は、その勅令の効力を停止する勅令が発布された。例として、日本政府がベルサイユ条約(山東条項)の調印によりドイツ帝国の膠州湾租借地の譲渡を受けることを予定して、その5日前にドイツ、オーストリア、ハンガリー及びトルコの国・個人・法人の財産の接収手続を明文化した緊急勅令を発布した際には、帝国議会が承諾しなかったため、翌年3月25日に勅令効力停止の勅令が発布された[注釈 2]。 なお、非常大権は一度も発動されたことがなく、戒厳大権との区別は不明瞭であるとされている[47][49][52]。 日本国憲法においては国家緊急権に関する規定は存在しないとする見方が多数的である[22][3]。憲法制定段階においては、日本側が衆議院解散時に、内閣が緊急財政措置を行えるとする規定を提案した。しかし連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は英米法の観点からこれに反対し、内閣の緊急権によってこれに対応するべきであるとした。その後の協議によって、衆議院解散時には参議院において緊急会を招集するという日本側の意見が採用された[53]。
日本における国家緊急権
東洋大日本国国憲案
大日本帝国憲法
日本国憲法
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