統合失調症
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1874年、ドイツのカール・カールバウム(英語版) が「緊張病」[注釈 38]を著す。

1899年、ドイツのエミール・クレペリンが Dementia Praecox(「早発性痴呆」)を著し、破瓜病緊張病に妄想病を加えてまとめる。

1911年、スイスのオイゲン・ブロイラーは、必ずしも若年時に発症するとは限らず、また必ずしも痴呆に到るとは限らず、この病気の本性は観念連合の弛緩にあるとして Dementia Praecox を Schizophrenie と改名し疾患概念を変えた。

1935年以降、日本では公式には1975年まで多くの人がロボトミー大脳外科手術)を受けた。

1937年、日本精神神経学会の神経精神病学用語統一委員会が、当疾患を「精神分裂病」と定めた[206]。それ以前は、日本国内では、「精神内界失調疾患」「精神解離症」「精神分離症」「精神分裂症」など、様々な訳語が使用されていた。

1939年から1941年、ナチス・ドイツが統合失調症の患者などを虐殺した(T4作戦)。

1967年、イギリスの精神科医デヴィッド・クーパー反精神医学を提唱し、精神分裂病は存在しないと主張した。その理論は、大方の承認を得るまでには至っていない[207]

1990年、中安信夫が初期分裂病(現・初期統合失調症)という臨床単位を提唱した[208]

1993年、「精神分裂病」という名称が、精神そのものが分裂しているというイメージを与え、患者の人格の否定や誤解、差別を生み出してきた経緯があることから、精神障害者の家族の全国連合組織である全国精神障害者家族会連合会(全家連)が、日本精神神経学会に対し改名の要望を出した。

2002年8月、日本精神神経学会の決議で、精神分裂病は統合失調症と改名された。同月、厚生労働省が新名称の使用を認め、全国に通知した。

2005年5月、文部科学省科学技術政策研究所の第8回デルファイ調査報告書によると、2022年までに統合失調症の原因が分子レベルで解明されると予測している。

統合失調症治療薬の年表クロルプロマジンの分子モデル。1950年代に統合失調症の治療に革新をもたらした。

1952年、フランスの精神科医であるジャン・ドレー(フランス語版)とピエール・ドニカー(英語版)がクロルプロマジンの統合失調症に対する治療効果を初めて正しく評価し、精神病に対する精神科薬物療法の時代が幕を開けた。

1957年、ベルギーの薬理学者であるパウル・ヤンセン(英語版)が抗精神病薬のハロペリドールを開発した。

1984年、非定型抗精神病薬のリスペリドンが開発された。

1996年、日本で非定型抗精神病薬のリスペリドンが発売された。

2001年、日本で非定型抗精神病薬のオランザピンが発売された。

2001年、日本で非定型抗精神病薬のクエチアピンが発売された。

2001年、日本で非定型抗精神病薬のペロスピロンが発売された。

2006年、日本で非定型抗精神病薬のアリピプラゾールが発売された。

2008年、日本で非定型抗精神病薬のブロナンセリンが発売された。

2009年、日本で非定型抗精神病薬のクロザピンが発売された。

2009年、日本で非定型抗精神病薬持続性注射剤のリスパダール・コンスタが発売された。

2011年、日本で非定型抗精神病薬のパリペリドンが発売された。

2013年9月20日、日本で非定型抗精神病薬持続性注射剤のゼプリオンが発売された[209]

2016年5月26日、日本で非定型抗精神病薬のアセナピンが発売された[117]

2018年4月18日、日本で新規抗精神病薬のブレクスピプラゾールが発売された[118]

2019年9月10日、日本で世界初の抗精神病薬の張り薬「ロナセンテープ」が発売された[210][211]

2019年10月、第11回デルファイ調査報告書によると、2035年までに統合失調症の脳病態解明に基づく、社会復帰を可能にする新規治療薬の科学技術的見通しが立つと予測している[212]

2020年6月11日、日本で非定型抗精神病薬のルラシドンが発売された[119]

2020年11月18日、日本で12週間投与の非定型抗精神病薬持続性注射剤のゼプリオンTRIが発売された[213]

江戸時代の日本

江戸時代の日本の医家の間では、「柔狂」や「剛狂」と呼ばれる精神疾患が知られており、それぞれヨーロッパでの「破瓜病」、「緊張病」に相当する病状であったとされている[214]。中期の儒医の香川修徳は著書『一本堂行余医言』(いっぽんどうこうよいげん)[注釈 39]で「狐憑きも野狐の祟りなどではない。被害妄想、誇大妄想、感情荒廃、強迫観念、自閉、不眠幻想、抑うつなどは狂の症状である」との意味を記している[216]
病名呼称の歴史

19世紀には原因は不明であり、認知症が早期に発症したものと誤解されたため早発性痴呆という名称がベネディクト・モレルによってつけられ浸透した。古代ギリシア語の σχ?ζειν+φρ?να(分裂+理性、心)に由来する、ドイツ語の Schizophrenie という言葉が作られた。

日本では、明治時代に精神分裂病が、ドイツ語の Schizophrenie に対する日本語訳として用意された。精神分裂病の「精神 (phrenie)」は、本来は心理学的な意味合いで用いられた単語であり、知性や理性を現す一般的な意味での精神とは意味が異なる。また、「分裂 (schizo)」は、精神そのものの分裂を言うのではなく、「太陽に対して暑い」などの言語連想の分裂を指していた[206]。ところが日本では、「精神分裂病」という名称から、文字通り「精神が分裂する病気」と解釈され、さらには「理性が崩壊する病気」と誤った解釈がされてしまうことが多々あった。

統合失調症の患者の家族に対して、社会全体からの支援が必要とされておりながら、誤った偏見による患者家族の孤立[217]も多く、その偏見を助長するとして患者・家族団体などから、病名に対する苦情が多かった。また、医学的知見からも「精神が分裂」しているのではなく、脳内での情報統合に失敗しているとの見解が現れ始め、学術的にも分裂との命名が誤りとみなされてきた。そこで、2002年に、日本精神神経学会総会で Schizophrenia に対する訳語を統合失調症にするという変更がなされた[218]。訳出にあたっては、その訳語が当事者にとって社会的な不利をもたらさない原則を加味することや、「病」ではなく「症状群」であるといった指摘がなされた[218]。名称変更にかかった費用の一部は、治療に使われる抗精神病薬を販売している外資系企業から提供されたという[219]全国精神障害者家族会連合会を参照のこと)。
治療史

古代ギリシア時代から色々な治療が試みられており、近代医療においても100年以上の歴史を有することから、膨大な種類の治療が試みられてきた。現代の主流は、薬による薬物治療が効果をあげており、それにより80 - 90%が治癒する。しかし、再発する確率も高く、治療および再発防止には家族の協力が不可欠とされる。古くは、日本において漢方薬での治療[220]が試みられ、西洋などでは治療不可能と判断して監禁したり、手足を拘束する、あるいは折檻する、また、近代においても脳の一部を切断するなど現代から見たら非人道的な行為が行われてきた。長らく説得(あるいは根気よく話を聞くことや対話)による治療が試みられてきたが、それらについてはあまり効果が確認できず、近代医学では掃除などの簡易作業を行わせる軽作業型の作業治療による若干の改善が認められて一時期盛んに研究され実施された。この軽作業型の作業治療は、医療現場で患者と接することが多い看護婦(当時の名称)から好まれたという。しかしながら、患者を安全に作業させるには医療機関の手間・暇などの負担が大きい上に、劇的に効果を確認できるものでもなく、症状が若干改善したとしても、他のストレスなどの悪化要因があれば、一進一退を繰り返すなど、根気と忍耐がいるものであり、当時は労務させられる患者や一刻も早く治癒を望むその家族からは不評であり、軽作業型の作業治療は下火となっていった。軽作業の代わりに、趣味園芸など)を行う作業治療が登場したが、患者の要望に応えるためには看護師が、その趣味を指導できる程に覚える必要があり、趣味には膨大な種類があることから患者から寄せられる数多い要望に対応できず、また、要望を出しても病院が対応できない場合は患者症状に悪化をもたらすこともあることから、次第に医療現場では減少した。しかしながら、薬ほど劇的ではないものの、確かに改善効果は認められるために、現在では専門の作業療法士制度を創設して担当している。1950年代から様々な薬が開発されると、劇的に効果を上げるようになったため、歴史的に様々な経緯を経て薬物治療がその主流に存在しており、他の治療法はその補佐的に利用されている。


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