江戸時代の日本の医家の間では、「柔狂」や「剛狂」と呼ばれる精神疾患が知られており、それぞれヨーロッパでの「破瓜病」、「緊張病」に相当する病状であったとされている[214]。中期の儒医
の香川修徳は著書『一本堂行余医言』(いっぽんどうこうよいげん)[注釈 39]で「狐憑きも野狐の祟りなどではない。被害妄想、誇大妄想、感情荒廃、強迫観念、自閉、不眠、幻想、抑うつなどは狂の症状である」との意味を記している[216]。19世紀には原因は不明であり、認知症が早期に発症したものと誤解されたため早発性痴呆という名称がベネディクト・モレルによってつけられ浸透した。古代ギリシア語の σχ?ζειν+φρ?να(分裂+理性、心)に由来する、ドイツ語の Schizophrenie という言葉が作られた。
日本では、明治時代に精神分裂病が、ドイツ語の Schizophrenie に対する日本語訳として用意された。精神分裂病の「精神 (phrenie)」は、本来は心理学的な意味合いで用いられた単語であり、知性や理性を現す一般的な意味での精神とは意味が異なる。また、「分裂 (schizo)」は、精神そのものの分裂を言うのではなく、「太陽に対して暑い」などの言語連想の分裂を指していた[206]。ところが日本では、「精神分裂病」という名称から、文字通り「精神が分裂する病気」と解釈され、さらには「理性が崩壊する病気」と誤った解釈がされてしまうことが多々あった。
統合失調症の患者の家族に対して、社会全体からの支援が必要とされておりながら、誤った偏見による患者家族の孤立[217]も多く、その偏見を助長するとして患者・家族団体などから、病名に対する苦情が多かった。また、医学的知見からも「精神が分裂」しているのではなく、脳内での情報統合に失敗しているとの見解が現れ始め、学術的にも分裂との命名が誤りとみなされてきた。そこで、2002年に、日本精神神経学会総会で Schizophrenia に対する訳語を統合失調症にするという変更がなされた[218]。訳出にあたっては、その訳語が当事者にとって社会的な不利をもたらさない原則を加味することや、「病」ではなく「症状群」であるといった指摘がなされた[218]。名称変更にかかった費用の一部は、治療に使われる抗精神病薬を販売している外資系企業から提供されたという[219](全国精神障害者家族会連合会を参照のこと)。 古代ギリシア時代から色々な治療が試みられており、近代医療においても100年以上の歴史を有することから、膨大な種類の治療が試みられてきた。現代の主流は、薬による薬物治療が効果をあげており、それにより80 - 90%が治癒する。しかし、再発する確率も高く、治療および再発防止には家族の協力が不可欠とされる。古くは、日本において漢方薬での治療[220]が試みられ、西洋などでは治療不可能と判断して監禁したり、手足を拘束する、あるいは折檻する、また、近代においても脳の一部を切断するなど現代から見たら非人道的な行為が行われてきた。長らく説得(あるいは根気よく話を聞くことや対話)による治療が試みられてきたが、それらについてはあまり効果が確認できず、近代医学では掃除などの簡易作業を行わせる軽作業型の作業治療による若干の改善が認められて一時期盛んに研究され実施された。この軽作業型の作業治療は、医療現場で患者と接することが多い看護婦(当時の名称)から好まれたという。しかしながら、患者を安全に作業させるには医療機関の手間・暇などの負担が大きい上に、劇的に効果を確認できるものでもなく、症状が若干改善したとしても、他のストレスなどの悪化要因があれば、一進一退を繰り返すなど、根気と忍耐がいるものであり、当時は労務させられる患者や一刻も早く治癒を望むその家族からは不評であり、軽作業型の作業治療は下火となっていった。軽作業の代わりに、趣味(園芸など)を行う作業治療が登場したが、患者の要望に応えるためには看護師が、その趣味を指導できる程に覚える必要があり、趣味には膨大な種類があることから患者から寄せられる数多い要望に対応できず、また、要望を出しても病院が対応できない場合は患者症状に悪化をもたらすこともあることから、次第に医療現場では減少した。しかしながら、薬ほど劇的ではないものの、確かに改善効果は認められるために、現在では専門の作業療法士制度を創設して担当している。1950年代から様々な薬が開発されると、劇的に効果を上げるようになったため、歴史的に様々な経緯を経て薬物治療がその主流に存在しており、他の治療法はその補佐的に利用されている。
治療史