統合失調症
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特に、メタボリックシンドロームは心血管系疾患および心血管系疾患死のリスクを上げ、原因として生活習慣、抗精神病薬による治療[注釈 35][注釈 36]、統合失調症の自体の影響などがある[198]。突然死リスクを減らすために対応可能な6つのリスクファクター(喫煙、高血圧、高血糖、運動不足、肥満、高脂血症)への取り組みが、発病早期から求められる[201]
合併症の疫学

統合失調症患者の合併症で、特に多いのは抑うつ薬物乱用である[194]。患者の少なくとも25%は常時抑うつであり、また米国患者ではアルコール依存症は30%以上、麻薬は25%以上、喫煙率は50%以上であった[194]

統合失調症患者はがんによる死亡率が低いことが知られている。デンマークで1980年まで行われた研究では、がん発生率は健常者との比較により男性で67%、女性で92%であった。男性統合失調症患者の肺がんは高い喫煙率にもかかわらず、健常者の38%であった。統合失調症治療に使われる向精神薬が抗腫瘍効果をもつためであるとされている[202]。また、統合失調症患者は関節リウマチに罹患しにくいことが知られており[203]、最近の研究によれば、およそ4倍程度罹患しにくいとされる[204]
歴史スキゾフレニア (Schizophrenia) という用語を創設したオイゲン・ブロイラー (1857-1939)

19世紀ドイツの精神科医エミール・クレペリンが複数の脳疾患を統一的な脳疾患カテゴリーとしてまとめ、早発性痴呆症を提唱した。1911年スイスの精神科医オイゲン・ブロイラーが症状群の性質から、著書『早発性痴呆症あるいは精神分裂病群の集団』(『Dementia Praecox oder Gruppe der Schizophrenien』)の中でSchizophreniaを造語し定義した[9]。ブロイラーによれば、当該疾患の特徴は「精神機能の特徴的な分裂(Spaltung der verschiedensten psychischen Funktionen)」であるとし、Schizo(分裂)、Phrenia(精神病)と呼称した。ここでいう精神機能とは、当時流行した連合主義心理学(en:Associationism)の概念であり、また精神機能の分裂とは主に連合機能の緩みおよび自閉症状を意味する。クレペリンは死後の脳解剖から前頭葉に類似の細胞変性を観察しており、早発性痴呆群を統一的な統計カテゴリーとした。しかし、ブロイラーは相当多数の疾患群の集合からなると予想しており、現在まで決着はついていない。クレペリンおよびブロイラーが例示した疾患群は単純型痴呆、破瓜病、緊張病、妄想性痴呆の4つである。
年表「精神保健の歴史」も参照

古代ギリシアから統合失調症が存在したという説がある[205]

1852年、フランスベネディクト・モレルが、統合失調症を初めて公式に記述し、Demence precoce(「早発性痴呆」)と呼称した。

1871年、ドイツのエヴァルト・ヘッカー(英語版)が「破瓜病」[注釈 37]を著す。

1874年、ドイツのカール・カールバウム(英語版) が「緊張病」[注釈 38]を著す。

1899年、ドイツのエミール・クレペリンが Dementia Praecox(「早発性痴呆」)を著し、破瓜病緊張病に妄想病を加えてまとめる。

1911年、スイスのオイゲン・ブロイラーは、必ずしも若年時に発症するとは限らず、また必ずしも痴呆に到るとは限らず、この病気の本性は観念連合の弛緩にあるとして Dementia Praecox を Schizophrenie と改名し疾患概念を変えた。

1935年以降、日本では公式には1975年まで多くの人がロボトミー大脳外科手術)を受けた。

1937年、日本精神神経学会の神経精神病学用語統一委員会が、当疾患を「精神分裂病」と定めた[206]。それ以前は、日本国内では、「精神内界失調疾患」「精神解離症」「精神分離症」「精神分裂症」など、様々な訳語が使用されていた。

1939年から1941年、ナチス・ドイツが統合失調症の患者などを虐殺した(T4作戦)。

1967年、イギリスの精神科医デヴィッド・クーパー反精神医学を提唱し、精神分裂病は存在しないと主張した。その理論は、大方の承認を得るまでには至っていない[207]

1990年、中安信夫が初期分裂病(現・初期統合失調症)という臨床単位を提唱した[208]

1993年、「精神分裂病」という名称が、精神そのものが分裂しているというイメージを与え、患者の人格の否定や誤解、差別を生み出してきた経緯があることから、精神障害者の家族の全国連合組織である全国精神障害者家族会連合会(全家連)が、日本精神神経学会に対し改名の要望を出した。

2002年8月、日本精神神経学会の決議で、精神分裂病は統合失調症と改名された。同月、厚生労働省が新名称の使用を認め、全国に通知した。

2005年5月、文部科学省科学技術政策研究所の第8回デルファイ調査報告書によると、2022年までに統合失調症の原因が分子レベルで解明されると予測している。

統合失調症治療薬の年表クロルプロマジンの分子モデル。1950年代に統合失調症の治療に革新をもたらした。

1952年、フランスの精神科医であるジャン・ドレー(フランス語版)とピエール・ドニカー(英語版)がクロルプロマジンの統合失調症に対する治療効果を初めて正しく評価し、精神病に対する精神科薬物療法の時代が幕を開けた。

1957年、ベルギーの薬理学者であるパウル・ヤンセン(英語版)が抗精神病薬のハロペリドールを開発した。

1984年、非定型抗精神病薬のリスペリドンが開発された。

1996年、日本で非定型抗精神病薬のリスペリドンが発売された。

2001年、日本で非定型抗精神病薬のオランザピンが発売された。

2001年、日本で非定型抗精神病薬のクエチアピンが発売された。

2001年、日本で非定型抗精神病薬のペロスピロンが発売された。

2006年、日本で非定型抗精神病薬のアリピプラゾールが発売された。

2008年、日本で非定型抗精神病薬のブロナンセリンが発売された。

2009年、日本で非定型抗精神病薬のクロザピンが発売された。

2009年、日本で非定型抗精神病薬持続性注射剤のリスパダール・コンスタが発売された。

2011年、日本で非定型抗精神病薬のパリペリドンが発売された。

2013年9月20日、日本で非定型抗精神病薬持続性注射剤のゼプリオンが発売された[209]

2016年5月26日、日本で非定型抗精神病薬のアセナピンが発売された[117]

2018年4月18日、日本で新規抗精神病薬のブレクスピプラゾールが発売された[118]

2019年9月10日、日本で世界初の抗精神病薬の張り薬「ロナセンテープ」が発売された[210][211]

2019年10月、第11回デルファイ調査報告書によると、2035年までに統合失調症の脳病態解明に基づく、社会復帰を可能にする新規治療薬の科学技術的見通しが立つと予測している[212]

2020年6月11日、日本で非定型抗精神病薬のルラシドンが発売された[119]

2020年11月18日、日本で12週間投与の非定型抗精神病薬持続性注射剤のゼプリオンTRIが発売された[213]

江戸時代の日本

江戸時代の日本の医家の間では、「柔狂」や「剛狂」と呼ばれる精神疾患が知られており、それぞれヨーロッパでの「破瓜病」、「緊張病」に相当する病状であったとされている[214]。中期の儒医の香川修徳は著書『一本堂行余医言』(いっぽんどうこうよいげん)[注釈 39]で「狐憑きも野狐の祟りなどではない。


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