統合型シェーダーアーキテクチャ
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1980年代後半から1990年代前半の日本国内で広く普及していたPCとしてPC-9800シリーズがあるが、同シリーズのグラフィックの描画に関連するチップにはGDCと、GRCG・EGCがある(CRTCなどもあるが、描画には関係しない)。GDCには直線・円弧・四角塗りつぶしなどの図形描画機能があり、この記事で扱っているタイプのLSIである。GDCは登場時点では比較的高機能・高性能であったが、CPUの性能向上によりその利点は薄くなっていった(そのため、当時の開発者でもそれを正確に把握していない者も多い)。GRCGは複数プレーンへの同時描画(98ではプレーンごとにセグメントアドレスを動かす必要があり面倒だった)や描画時のマスク操作などをハードウェアで行えるもので、EGCはGRCGの強化版(Enhanced Graphic Charger)である。EGCはEPSONが比較的後期まで追随しなかったことや、NECがハードウェアの仕様の公開に非積極的になった以降ということもあり、あまりよく知られていない。さらに、AGDC(Advanced ?)[1]やEEGC(あるいはE2GC)といったチップに至っては、非公開情報を集めた文献にもその名前以外には殆ど全く情報がない。
1990年代

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1990年代に入ると、シリコングラフィックス (SGI) が自社のグラフィックワークステーション用のグラフィックライブラリとして開発実装したIRIS GL(英語版)がOpenGLに発展して標準化され、標準化されたグラフィックライブラリとそのAPIに対応したハードウェアアクセラレータ、という図式が登場する。

実装当初のIRIS GLはソフトウェアによるものであったが、SGIでは当初よりこのAPIをハードウェアによって高速処理させる (ハードウェアアクセラレーションを行う) ことを念頭に設計しており、程なくIRIS GLアクセラレータを搭載したワークステーションが登場する。ただし、当初のIRIS GLアクセラレータはまだ単体の半導体プロセッサではなく、グラフィックサブシステムは巨大な基板であった。

1990年代の初めごろ、Microsoft Windowsの普及とともに、グラフィックアクセラレータへのニーズが高まり、WindowsのグラフィックスAPIであるGDIに対応したグラフィックアクセラレータが開発された。

1991年S3 Graphicsが開発した"S3 86C911"は、最初のワンチップ2Dグラフィック・アクセラレータであった。"86C911"という名は設計者がその速さを標榜するためポルシェ911にちなんで名付けた。86C911を皮切りとして数々のグラフィック・アクセラレータが発売された。

1995年には3DlabsがOpenGLアクセラレータのワンチップ化に成功し、低価格化と高パフォーマンス化が加速度的に進行し始める。また同年に登場したインテルのPentium Proプロセッサの処理能力は同時代のRISCプロセッサの領域に差し掛かっており、このCPUとワンチップ化によって価格を下げたOpenGLアクセラレータのセットは、それまでメーカーに高収益をもたらしていたグラフィックワークステーションというカテゴリーローエンドから価格破壊を仕掛ける原動力となった。

1995年までには、あらゆる主要なPCグラフィックチップメーカーが2Dアクセラレータを開発し、とうとう汎用グラフィックス・コプロセッサは市場から消滅した。

1995年に3dfxによりVoodooという3Dアクセラレータが発売された。家庭用PCの性能上のボトルネックを考慮してゲーム用に最適化されたGlideというAPIも用意され、家庭用PC上で当時のアーケードゲームに匹敵する品質のグラフィックを実現した。Voodooシリーズは、1990年代後半の家庭用PCゲームの品質向上を牽引したシリーズとなった。

1995年にマイクロソフトWindows 95とともに開発したゲーム作成及びマルチメディア再生用のAPI群DirectXではさらにグラフィック・アクセラレータの性能が強化された。DirectXのコンポートネントのひとつDirect3Dは@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}当初から[要出典]3Dグラフィック処理のハードウェア化を想定したレンダリング・パイプラインを持っていた。

1997年当時のグラフィック・アクセラレータはレンダリングのみしかサポートしていなかったが、この頃からZバッファアルファブレンディング、フォグ、ステンシルバッファテクスチャマッピングテクスチャフィルタリングなどの機能を次々搭載し、3Dグラフィック表示機能を競うようになった。DVD-Video再生支援機能を備えるチップも現れた。

VDP等の汎用グラフィック・プロセッサについては、カーナビ等の表示用に使用され新たな市場を形成している。90年代後半からは、携帯電話に多色表示がもちいられるようになり、その分野においても有用な市場を形成している。

一方、システムの低価格化を目的に、チップセットノースブリッジにグラフィックコアの統合を行った、統合チップセット1997年ころから登場し始める。1999年の「Intel 810」チップセットの登場で、低価格機には統合チップセットの使用が定着し始めた。

3DCGの中核とも言えるジオメトリエンジンは高コストが許容されるグラフィックワークステーションでは専用プロセッサとして搭載されていたが、PCでは長らくCPUが担う機能であった。しかし、ジオメトリエンジンの別名とも言えるハードウェアによる座標変換・陰影計算処理(: Hardware Transform and Lighting; ハードウェアT&L)が1999年にPC向けにリリースされたDirectX 7にて標準化され[2]、またこのハードウェアT&Lを世界で初めて実装して製品化したNVIDIA GeForce 256を定義する言葉として「GPU」という名称が提唱されることとなった。ハードウェアT&Lの実装によって、NVIDIA社製品は他社製品と比較して突出した高性能を発揮するようになった。これ以後、ジオメトリエンジンとしての機能をCPUに任せる3dfx Voodooシリーズは目立って高性能とは言えなくなった。
2000年代

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3次元グラフィックスのパイプライン処理

DirectX 8世代では、グラフィックスパイプライン中の一部の処理をユーザープログラマーが自由に記述できるプログラマブルシェーダーが導入されるようになった。プログラマブルシェーダーは頂点シェーダー (Vertex Shader) とピクセルシェーダー (Pixel Shader) の2種類が用意され、頂点シェーダーは頂点座標や光源ベクトルの頂点単位での座標変換および頂点単位での陰影計算(シェーディング)を、ピクセルシェーダーはピクセル単位での陰影計算をそれぞれ担当する設計だった。特に従来の固定機能シェーダーではポリゴン単位(頂点単位)でしか陰影計算を実行できなかったのに対し、ピクセル単位での陰影計算もできるプログラマブルピクセルシェーダーの導入により、表現の自由度と解像度(精細度・品質)が飛躍的に向上した。ただし、シェーダープログラムの記述に使える言語は原始的なアセンブリ言語が基本であり、記述可能なプログラム長(命令数)もごく限られていたため、開発効率や再利用性などの面で課題を抱えていた。なお、頂点シェーダープログラムとピクセルシェーダープログラムを実行するハードウェアユニット(演算器)のことを、それぞれ頂点シェーダーおよびピクセルシェーダーとも呼んでいた。後にNVIDIAでCUDAを開発するIan Buckはこの最初の世代のプログラマブルシェーダーから既にGPGPUに着手しており、厳しい制約下ではあったもののレイトレーシングの高速化についての論文を発表している。

また、この世代になるとマルチテクスチャ、キューブマップ、アニソトロピック(異方性)フィルタ、ボリュームテクスチャなどが新たにサポートされ、HDRIによるレンダリングや動的な環境マッピングの生成が可能になった。


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