統一ロシア
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統一ロシア(とういつロシア、ロシア語: Единая Россия、エジーナヤ・ラッスィーヤ)は、ロシア連邦の政党党首ドミートリー・メドヴェージェフ。ロシアの現在の与党
歴史

1999年ロシア連邦下院選挙前に強い与党の創設を目論んだ政権側の肝煎りで、有力州知事らがショイグ非常事態相を党首に結成した政党「統一(英語版)」と、同年にモスクワルシコフ市長とタタールスタンシャイミーエフ大統領がプリマコフ首相と共に結成した中道左派連合「祖国・全ロシア」が、2001年12月1日に統合して成立した。創設者のショイグ、ルシコフ、シャイミーエフの三者が党最高会議の共同議長(党首)を務めた[27]

2003年ロシア連邦下院選挙で統一ロシアは圧勝し、第一党となる。2004年11月の党大会でグルイズロフ下院議長が党最高会議議長に選出された。

2006年12月2日エカテリンブルクで党大会が開催された。党大会ではグルイズロフ下院議長・党首、ルシコフら地方政府代表が参加した。この党大会では今後10年間の国家建設の指針となる「国家発展戦略」を採択した。同戦略は2007年ロシア連邦下院選挙及び2008年ロシア連邦大統領選挙に向けての党の公約でもある。一方で党内ではシロヴィキと反シロヴィキの駆け引きが熾烈なものとなり、党役員改選では、当初役員に選出されると予想されていたロシア鉄道ウラジーミル・ヤクーニン社長が選出されなかった。

2007年の下院選挙ではプーチン大統領が党の比例代表名簿1位となり、国民の支持を集めて政権与党としての有利さを最大限生かして大勝し、6割以上の議席を獲得する[28]。2008年の大統領選ではドミートリー・メドヴェージェフ第一副首相を支持した。同年4月15日にプーチンは党大会に出席し、次期党議長(党首)への就任を受諾した。同年5月7日大統領退任と共に正式に党首に選出された。

複数政党制のロシアで大きな影響力を誇る統一ロシアであるものの、2008年からの世界同時不況で人気に陰りが見え始めたと言う指摘がある。2009年3月にはトベリ市議会選挙でロシア連邦共産党に第一党の地位を奪われ、スモレンスクエカテリンブルク近郊の首長選挙でも統一ロシアの候補は当選できなかった[29]

2011年ロシア連邦下院選挙では3233万1244票(49.29パーセント)を獲得して238議席を得たが、前回と比べては大幅な議席減という結果になった。2012年ロシア連邦大統領選挙でも勝利を収めた。

その後もロシアの中核都市の市長選挙で統一ロシア候補が惨敗するなど、地方選挙では苦戦を強いられている。「ニェザヴィーシマヤ・ガゼータ」は「ロシア国民の目が肥えてきた」と論評している[30]2014年ノヴォシビルスク市長選挙[31]2015年イルクーツク州知事選挙で共産党が統一ロシアに勝利している[32]

2012年5月26日に党首にドミートリー・メドヴェージェフ首相を選出した[33]

2011年の下院選挙辺りから、統一ロシアの国民的イメージは選挙不正・統一ロシア議員の不祥事などから低下しており、プーチン大統領は統一ロシアを事実上見限り、超党派の国民運動体「全ロシア人民戦線」を2013年6月に正式な社会団体に格上げすることで自身の権力の安泰を図ろうとしている[34]


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