結城座
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^ 劇場年表と記しているが五弓久文『劇場年表』ではなく、黒木勘蔵同様に関根只誠『戯場年表』が出典であると考えられる。
^ 水谷弓彦は『貞享二年の『役者三座詫』には、堺町天満八太夫にならび「出来山藝づくし」を一軒隣に、江戸孫四郎(結城)説経芝居があり[27]』と記述しており、この記述と一致する図を喜田川守貞が『貞享二年印行野郎三座記[28]』として引用している。秋山清(木芳)もまた『貞享二年印行野郎三座記所載[25]』として引用している。但し、水谷弓彦の記述『江戸孫四郎(結城)説経芝居』にある括弧の『(結城)』の文字は他の二つには記載されていない。
^ 水谷弓彦は結城孫四郎とされる法蔵比丘の正本の存在を記している[31]
^ 結城孫三郎と結城孫四郎を結城一派[31]とする記載もある。
^ 歌舞伎年表によれば寛文11年に江戸孫三郎が堺町で興行した記述がある[33]。江戸孫四郎には人形を三人で扱った図[30]が『役者絵づくし』にあって、これについては三田村鳶魚の著述[34]が詳しい。
^ いずれの項目も参考文献に若月保治『古浄瑠璃の新研究』を挙げている。
^ 題簽の左に『あみだの本地、結城孫〇郎』とあり結城孫三郎の絵入正本と考えられていた[44]が、正徳3年版のものにより確定した[45]
^ 原文まま。判読しづらかったものと思われる。

出典^ a b c 諏訪春雄 1993, p. 262.
^ a b 山本二郎 1993, pp. 266?267.
^ a b 諏訪春雄 1994, p. 930.
^ 特定非営利活動法人CANPANセンター.
^ 中野三敏 1988, p. 327.
^ 津村淙庵 1795, p. 218.
^ 稀書複製会 1934, p. 11.
^ 若月保治 1943, p. 663.
^ 浅井了意 1662, p. 21.
^ 若月保治 1961 pp. 473-474
^ 加藤曳尾庵 1907, p. 77.
^ 村井益男1980 pp. 344-345
^ 松濤軒斎藤長秋 1834, p. 10.
^ a b c 江戸叢書刊行会 1916, p. 276.
^ a b c 石川俊之 1689, p. 17.
^ 斎藤月岑 1849, p. 25.
^ 斎藤月岑 1847, p. 11.
^ a b 水谷弓彦 1916, p. 54.
^ 斎藤月岑 1961 pp. 179-182
^ 水谷弓彦 1916.
^ 演芸珍書刊行会 1914, p. 160.

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