経済産業省(けいざいさんぎょうしょう、英: Ministry of Economy, Trade and Industry、略称: METI)は、日本の行政機関のひとつ[4]。経済および産業の発展ならびに鉱物資源およびエネルギー資源の供給に関する行政を所管する[注釈 1]。日本語略称・通称は、経産省(けいさんしょう)。 経済産業省設置法第3条の定める任務である「民間の経済活力の向上及び対外経済関係の円滑な発展を中心とする経済及び産業の発展並びに鉱物資源及びエネルギー資源の安定的かつ効率的な供給の確保を図ること」を達成するため、マクロ経済政策、産業政策、通商政策、貿易管理業務、産業技術政策、流通政策、エネルギー政策などを所管する。 1949年(昭和24年)5月25日から2001年(平成13年)1月5日まで通商産業省(つうしょうさんぎょうしょう、英: Ministry of International Trade and Industry、略称: MITI、日本語略称: 通産省〈つうさんしょう〉)が設置されていたが、2001年(平成13年)1月6日の中央省庁再編によって、通商産業省を改組及び改称する形で経済産業省が設置された。 かつて、前身の通産省は、日本経済ないし「日本株式会社」の総司令塔たる「経済参謀本部」として高度経済成長の牽引役とされた。米国をはじめ諸外国においても「Notorious MITI」[注釈 2]ないし「Mighty MITI」[注釈 3]と呼ばれたように、その名は日本官僚の優秀さ(ないし脅威)の代名詞として広く知られていた[5][6]。その持てる許認可及び行政指導をあまねく駆使し、政府系金融機関の割り当て融資(財政投融資)、予算手当て、補助金などを力の源泉として主に産業政策を掌った。それ以外にも、技術革新に応じた科学技術研究開発、貿易、特許、エネルギー政策、中小企業政策など幅広い権限を保持していたほか、日本銀行政策委員会に複数の委員を送り出すなど、事実上、金融政策にも関与していた。 しかし、日本の高度経済成長期が終わると、幅広い権限を保持する割りに、「現業官庁」など他省庁と比較して許認可行政・補助金行政ができないことから、否応なしに単発の政策アイディアが主なものとなった[7]。毎年5・6月頃から様々な新政策のアドバルーンを打ち上げてくる[7]。このため、財務省が財政政策、予算査定、税制を通して依然として広く政策決定に関与する「総合官庁」であるのに対して、経産省はほとんどの産業を所管する「行政のデパート」であるも「限定された総合官庁」であると評されている[8]。 経産省(通産省)の中から選ばれた一部の中堅官僚は、諸外国の日本貿易振興機構を拠点とし、産業調査員[注釈 4]としての各種調査事務に従事している。 経産省(通産省)は、自由な気風や業界との交流の多さも後押しし、実業界など経済界に人材を数多く輩出してきた。一方、通産省時代には「政治家を出せない役所」とも言われており、事実、戦前の商工省出身の者には岸信介や椎名悦三郎がいたものの、戦後の通産省出身の者としては林義郎が目立つくらいで、大蔵省や旧内務省系官庁など出身の者に比して見劣りがした。しかし、80年代頃から若手の通産官僚の政界入りが相次ぎ、現在の国会では党派を超えた一大勢力となっている[9]。 また、大分県知事の平松守彦(在任1979年?2003年)以降、都道府県知事にも経産省(通産省)出身の者が次第に増え、旧内務省の流れを汲み、伝統的に多くの知事を輩出してきた総務省(自治省)に次ぐ勢力になっており[10][11]、2020年7月には全国の都道府県知事のうち8名が経産省(通産省)出身だった。経産省(通産省)出身の都道府県知事が増えた理由について、経産省は「企業誘致に経産省時代に培った企業人脈が生きている。産業振興による税収増への期待もあるのだろう」と分析しているが、対する総務省からは「経産省は規制緩和で仕事が減り、知事志向が強まっているのでは」と皮肉る声も出ている[10]。 近年、経産省の規制権限は縮小傾向にあり、地域経済振興に活躍の場を求めているという事情もある[12]。また、経産省への移行後は、内閣府などとともにマクロ経済政策を担う官庁として重要な役割を果たすようになってきている。 前身の通商産業省は、1949年5月25日、商工省を改組して発足した。その際、旧商工省の外局であった貿易庁及び石炭庁は廃止され、新たに資源庁、工業技術庁及び特許庁の3つの外局が設けられた。
概説
沿革