経済安定本部
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日本行政機関経済安定本部
けいざいあんていほんぶ

役職
総裁吉田茂[註釈 1]
総務長官周東英雄[註釈 1]
政務次官福田篤泰[註釈 1]
副長官(空席)[註釈 1][註釈 2]
組織
上部組織内閣総理庁総理府
内部部局総裁官房、産業局、民生局、財政金融局、貿易局、建設交通局、物価局[註釈 1]
附属機関経済復興計画審議会、資源調査会、物資需給調整審議会、通貨発行審議会、企業会計基準審議会、国民所得調査連絡協議会、国土調査審議会、米価審議会[註釈 1]
地方支分部局地方経済安定局[註釈 1]
外局経済調査庁、外資委員会[註釈 1]
概要
設置1946年8月12日
廃止1952年7月31日
後身経済審議庁
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経済安定本部(けいざいあんていほんぶ、英語:Headquarters for Economic Stabilization)は、かつて存在した日本官公庁のひとつ。太平洋戦争終結後、経済復興のための政策拠点として発足。長は経済安定本部総裁。略称は安本(あんぽん)、経本(けいほん)[註釈 3]
概要

日本の内閣に置かれた部局として発足したが、総理庁機関を経て、他の府・省と同格の機関として位置づけられた。経済安定の基本的施策の企画立案、物価の統制、経済統制の確保、外国人の投資や事業活動の調整を所管するとともに、関係する他の行政機関との総合調整および推進も担っていた。太平洋戦争後の日本の経済復興を図るため、傾斜生産方式などさまざまな施策を打ち出し、戦後の日本経済に大きな影響を与えた。
機構初代次長白洲次郎(左)と初代総裁吉田茂(右)

経済安定本部の長は総裁であり、内閣総理大臣充て職であった[1]。総裁の下には部務を掌理する総務長官が置かれており、国務大臣が充てられた[2]。そのほかに政治任用される役職として、政務次官が置かれていた。また、総務長官を補佐するために、副長官が置かれていた[3]1949年6月1日経済安定本部設置法(昭和24年法律第164号)施行時には、内部部局として総裁官房、生産局、動力局、生活物資局、財政金融局、貿易局、建設交通局が設置されるとともに[4]附属機関として経済復興計画審議会、資源調査会、経済再建整備審議会、国民食糧及び栄養対策審議会、通貨発行審議会が設置されていた[5]。また、地方支分部局として全国各地に地方経済安定局が設置されており[6]、札幌地方経済安定局、仙台地方経済安定局、東京地方経済安定局、名古屋地方経済安定局、大阪地方経済安定局、広島地方経済安定局、高松地方経済安定局、福岡地方経済安定局の計8局が置かれていた[7]。さらに、外局として物価庁経済調査庁、外資委員会を擁していた[8]。なお、外局である物価庁はのちに内部部局である物価局に移行し、物価庁の附属機関である米価審議会も経済安定本部の附属機関として加わるなど、組織構成は年とともに変遷した。
所掌事務利根特定地域総合開発計画により整備された藤原ダム

所管する業務は多岐にわたっており、経済安定本部設置法では経済安定、物価統制、経済統制の確保、外国人の投資や事業活動などが挙げられている[9]。太平洋戦争後の経済的な混乱のなか、物資やエネルギーの生産や配給だけでなく、財政通貨金融といった政策課題の企画立案に加え、公共事業の監督にいたるまで幅広く手掛けていた。


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