1970年代には、ロバート・ルーカス (経済学者)が、ケインズ的な財政・金融政策は家計や企業の合理的予想(期待)で相殺されて無効となるという合理的期待形成仮説を発表した[47]。1976年にルーカスは、経済システムの中にいる国民と政府が、経済法則(期待)を知っており、それに基づいて行動すると、結果的に法則が変わり得ること、すなわち、期待(経済法則)は自己言及性を持つため、経済政策は効果を失うというルーカス批判を行った[49]。ルーカスらはエドワード・プレスコットの『裁量よりもルール』(1977)とともに、リアルビジネスサイクル理論などを提唱し、新しい古典派 ( New classical economics )が形成され、これがマクロ経済学の主流となった[47]。
その後、市場の失敗が起こる要因を重視し、これを是正するマクロ政策を再構築しようとするグレゴリー・マンキューやデビッド・ローマーのニュー・ケインジアンが台頭した[47]。
現代詳細は「ゲーム理論」、「行動経済学」、「進化経済学」、「複雑系経済学」、「オーストリア学派」、および「マルクス主義批判」を参照
主流派経済学(新古典派経済学とケインズ経済学)とマルクス経済学は、米ソ冷戦という現実政治の影響もあり、長期間にわたって対立した。ソビエト連邦の崩壊・冷戦終了時には、古典的マルクス経済学に対する否定的研究が数多く行われ、非数理的・訓古主義的な性質が批判された(マルクス主義批判)。ソ連型社会主義で実施された計画経済の誤りがソ連・東欧の崩壊で明白になり、今日では、市場という需給調整のメカニズムを数理的に扱い発展した主流派経済学が経済研究の中心となり、市場を通じて社会主義社会を目指すとしている中華人民共和国やベトナムなどでもマルクス経済学のみならず主流派経済学の研究も行われるようになった。その一方で、主流派経済学では、賃労働における搾取などの生産面での矛盾や貧富の格差の拡大、経済活動による自然破壊などを説明できないとのマルクス経済学者からの批判も続いている[要出典]。
また、アメリカ合衆国を中心とした西側資本主義国で発展させられてきた主流派経済学は、非歴史的・非文化的で数理モデル一辺倒な性質をマルクス経済学者やポスト・ケインジアンなどに指摘されている[要出典]。
主流派経済学における比較的新しい動きとして、ゲーム理論と行動経済学の発展がある。伝統的な主流派経済学では、完全競争の仮定ゆえ、経済主体間の相互の影響は考慮されていない。それに対して、市場が寡占の状態である場合、各企業の選択は他の企業の利潤に影響を与える。こうした相互依存を分析する道具として、ゲーム理論が主流派経済学の中心的な理論の1つとなった。伝統的な主流派経済学では、各経済主体は合理的で利己的な存在とされてきた。しかし、さまざまな実験が、この仮定が必ずしも適切ではないことを示している。こうした、合理的でなかったり、利己的でなかったりする経済主体の意思決定を定式化する分野が行動経済学であり、主流派経済学で広く受け入れられている。
異端派経済学として、近年新しい体系がさまざまに模索されている。とくに1980年代以降、進化経済学が世界的に興隆してきており、新しい主流派を形成しつつあるという評価もある[50]。進化経済学以外にも、ポスト・ケインズ派の経済学、オーストリア学派の経済学、複雑系経済学などがある。 経済学と経営学の違いの第1は、経済学が研究方法に重きを置くのに対して、経営学は研究対象に重きを置くことである[51]。経済学は独自の研究方法を有しており、その方法に則ってさえすれば、研究対象が必ずしも経済に関わるものでなくとも経済学たりうる。実際、医療、教育、文化なども経済学で活発に研究されている。経営学では企業の経営という研究対象が先にあり、その対象を研究するため、経済学、心理学、社会学などの方法が用いられる。こうした違いは、経済学、経営学が教育・研究される組織の違いにも表れている。米国の大学では、経済学は、数学、物理学、心理学などと同様Faculty of Arts and Sciencesのdepartmentで教育・研究されるのに対し、経営学は、医学、法学などと同様個別のprofessional schoolで教育・研究されることが多い。 経済学と経営学の違いの第2は、経済学の主な研究対象が経済という大きなものであるのに対して、経営学の研究対象が企業という小さいものであることである。企業の経済活動を研究対象とする、という点では両者共通だが、マクロの経済学においては、日本の経済、アジアの経済、世界の経済といった大きなくくりでの研究となる。そこで用いられるのが「経済人」という考え方だ。すべての人間は客観的で経済合理的に行動すると考える。マクロで捉える場合、個人的な好みの差などは考えず、皆が同じ行動をすると考えるのである。これに対して、ミクロの経営学の場合は一つの企業、またはその企業の中の一つの部門、さらにはその中のグループを構成する個人、というレベルまで研究対象とする。この場合は中にいる人間が主役となるので、個人の差の問題までも考慮する。ここで用いられるのが「経営人」という考え方だ。経営人は経済人と違い、皆がすべて情報を持つのではなく、限られた情報をもとに、自ら満足・不満足、という基準で意思決定を行う限定的合理性に基づく行動をとると考える。[52] 経済学は、存在自体が社会・政治・経済・政策と不可分であるため、学術的な論争や政策的な論争など数多の論争を生み出し消化してきた。それによって、経済学徒は、他学徒に「傲慢である」と印象を与えてしまうほど非常に攻撃的な知的スタイルを形成している。しかし、論争は、経済学にとって理論を洗練させブレイクスルーを起こす役割を担ってきた。このように、経済学と論争は、切っても切れない関係にあるといえる。ここでは、経済学において歴史的に重要な意味を持った論争を取り上げる。
経済学と経営学
論争
全地球的な論争
重商主義・重農主義論争
穀物法論争
ピグー・ケインズ論争
経済計算論争(1920年 - 1930年)
ケンブリッジ資本論争[53]
日本における論争
日本の経済論争
学派
古典派経済学
マルクス経済学
数理マルクス経済学
新古典派経済学(ケンブリッジ学派 - ローザンヌ学派 - オーストリア学派)
マネタリスト
新しい古典派
ケインズ経済学
ポスト・ケインズ派経済学
ニュー・ケインジアン
その他
制度派経済学
進化経済学
複雑系経済学
現代古典派経済学
分野
理論
ミクロ経済学 - ゲーム理論 - 契約理論 - 社会選択理論 - 厚生経済学
マクロ経済学 - 経済成長理論
数理経済学