経済学
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続くアリストテレスは、財産の共有制を批判し、商品の売買も容認したが、金儲けのための交換(クレマティスティケ)を、ポリスのために善く生きることを忘れることになるとして批判した[43]

トマス・アクィナスは、私有財産を肯定しながら、困窮者の財産請求権(緊急権)を例外としてみとめた[44]
重商主義学説詳細は「重商主義」を参照

経済についての研究の始まりはトーマス・マン(1571年 - 1641年)によって書かれた『外国貿易によるイングランドの財宝』や、ウィリアム・ペティ(1623年 - 1687年)の『租税貢納論』、バーナード・デ・マンデヴィル(1670年 - 1733年)の『蜂の寓話』、ダニエル・デフォー(1660年 - 1731年)の『イギリス経済の構図』、デイヴィッド・ヒューム(1711年 - 1776年)の『政治論集』などに見られるような重商主義の学説である。この時代には欧州列強が海外植民地を獲得し、貿易を進めて急速に経済システムを発展させていた。
重農主義学説詳細は「重農主義」を参照

イギリスの重商主義の批判としてフランスでは重農主義が登場し、政府の介入なしでも経済は自律的に動くと主張した[45]フランソワ・ケネーが『経済表』(1758年)を書き、国民経済の再生産システムを解明して、経済学の体系化の発端となった。
古典派経済学アダム・スミス。経済学の父とされる詳細は「古典派経済学」を参照

アダム・スミスが資本主義工場生産について論じた『国富論』(1776年)が、現在の理論化された経済学の直系で最古の理論にあたる。そのため、スミスは、経済学の父と呼ばれている。経済学では、一般的に『国富論』を持って始まりとされる。また、デイヴィッド・リカードの『経済学および課税の原理』(1817年)、トマス・ロバート・マルサスの『人口論』(1798)や『経済学原理』(1820)、J.S.ミルの『政治経済学原理』(1848)などが、英国古典派経済学の基礎を築いていった。
マルクス経済学詳細は「マルクス経済学」を参照

共産主義を主張したカール・マルクス(1818年 - 1883年)はイギリス古典派経済学を中心に当時の経済学を徹底して研究し、労働価値説を継承しつつ新たに価値論や剰余価値論を体系化し、資本の諸形態を再定義して資本主義経済の構造と運動法則の解明をおこなった。マルクスの長年にわたる経済学研究は主著『資本論』に結実した。

マルクスの後、マルクス経済学とよばれる流れは、資本主義経済の諸法則も諸概念も不変のものではなく、生成・発展・消滅する過程にあるものとしてとらえ、資本家は労働力に支払った以上の価値を労働力から取り出すという剰余価値説にもとづいて資本主義経済を分析した。カール・カウツキー(1854年 - 1938年)の『カール・マルクスの経済学説』や『エルフルト要領解説』、ルドルフ・ヒルファーディング(1877年 - 1941年)の『金融資本論』、ローザ・ルクセンブルク(1870年 - 1919年)の『資本蓄積論』、ウラジーミル・レーニン(1870年 - 1924年)の『ロシアにおける資本主義の発達』や『帝国主義論』などの研究を通じて継承・展開された。

しかしながら、マルクスの経済理論をモデル化して検証を行うと、理論の膨大さゆえにマルクスの理論体系は不整合に陥っており、以下の3つの矛盾を説明できない。(1)剰余価値率が諸部門間で均等化する。(2)技術進歩の結果利潤率は下落する。(3)技術進歩の結果利潤率は下落すると仮に言えたとしても、実質賃金もまた下落する[46]
新古典派経済学レオン・ワルラス。彼は経済学への数学の導入に大きな役割を果たした詳細は「新古典派経済学」を参照

新古典派経済学と呼ばれる学派が、資本主義経済の現象を数理的に分析する手法を発展させてきた。ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ(1798年 - 1855年)の『経済学の数学的一般理論の考察』や『経済学の理論』、レオン・ワルラス(1834年 - 1910年)の『純粋経済学要論』や『応用経済学研究』、カール・メンガー(1840年 - 1910年)の『国民経済原理』や『社会科学特に経済学の方法に関する研究』、アルフレッド・マーシャル(1843年 - 1924年)の『外国貿易と国内価値との純粋理論』や『経済学原理』、ヨーゼフ・シュンペーター(1883年 - 1950年)の『理論経済学の本質と主要内容』や『経済発展の理論』などの研究を通じて発展していくこととなる。
ケインズ経済学とマクロ経済学ジョン・メイナード・ケインズ。彼の理論はケインズ経済学として大きな影響を与えた詳細は「ケインズ経済学」および「マクロ経済思想史」を参照

ジョン・メイナード・ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)で、市場に任せただけでは失業が発生するので、政府による適切な市場介入(政府支出と減税)で有効需要を創出する必要があると主張し、マクロ経済学の主流となっていった[47]ジョン・ヒックスポール・サミュエルソンらのネオ・ケインジアン経済学によって、発展していった。サミュエルソンは著書『経済学 第3版』(1955)で、ケインズ政策で雇用環境が改善されたあとは、従来のミクロ経済学のような民間の市場を活用した経済活動にまかせるのがよいとする混合経済を説いて、ミクロ経済学のミクロ経済学とマクロ経済学の国民所得理論を総合する新古典派総合を主張した[48]。しかし、1970年代に、スタグフレーションが先進資本主義国を覆ったことで影響力を失っていった[48]

1970年代には、ロバート・ルーカス (経済学者)が、ケインズ的な財政・金融政策は家計や企業の合理的予想(期待)で相殺されて無効となるという合理的期待形成仮説を発表した[47]。1976年にルーカスは、経済システムの中にいる国民と政府が、経済法則(期待)を知っており、それに基づいて行動すると、結果的に法則が変わり得ること、すなわち、期待(経済法則)は自己言及性を持つため、経済政策は効果を失うというルーカス批判を行った[49]。ルーカスらはエドワード・プレスコットの『裁量よりもルール』(1977)とともに、リアルビジネスサイクル理論などを提唱し、新しい古典派 ( New classical economics )が形成され、これがマクロ経済学の主流となった[47]

その後、市場の失敗が起こる要因を重視し、これを是正するマクロ政策を再構築しようとするグレゴリー・マンキューデビッド・ローマーニュー・ケインジアンが台頭した[47]
現代詳細は「ゲーム理論」、「行動経済学」、「進化経済学」、「複雑系経済学」、「オーストリア学派」、および「マルクス主義批判」を参照


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