終末論
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詳細は「キリスト教終末論の相違点」および「最後の審判」を参照

キリスト教の終末論 (eschatology) という語は、ギリシア語の τ? ?σχατα(ta eschata「最後のこと(中性複数形)」、キリスト教では具体的に四終(死・審判・天国・地獄)を指す)という言葉に由来し、イエス・キリストの復活と最後の審判への待望という事柄に関わる(千年王国を参照)。キリスト教では、その目的が世の救済であるため、教義学では終末を歴史の目的とするほか、キリスト教系新宗教の中には、「最後の審判」の時期を聖書から年代や終末期に起こる出来事(しるし)などから算定し、予言する教団もある。

20世紀スイス神学者カール・バルトも、主著『ロマ書』で「(終末にキリストが地上の裁きのために天国から降りてくるという)再臨が『遅延する』ということについて……その内容から言っても少しも『現れる』はずのないものが、どうして遅延などするだろうか。……再臨が『遅延』しているのではなく、我々の覚醒(めざめ)が遅延しているのである」といい、「終末はすでに神によってもたらされている」という認識である。
新約聖書にある終末信仰

50年ころパウロは
テサロニケ人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した[注 1]。この終末観は初期キリスト教の預言者の言葉である可能性大であるとされている[1]。テサロニケの信者は下記の予測についての終末信仰を始めた。

パウロが生きているうちに主の来臨がおきる。

パウロが生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる。

パウロが生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。

パウロが生きているうちによみがえった死人や眠っていた人たちが天に上げられる。

パウロは生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる[2]

54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した[3]。コリントの信者は再臨の時までパウロが生き残ることと、不死なる体に変化する世の終わりが近づいてきているという終末信仰を始めた[注 2]

95年から96年ごろ著者は不明であるが、ヨハネの黙示録が著され、天にてキリストの支配がはじまったという終末観が表明される[4]。パウロの死んだ年は65年ころとされるので、それから30年くらい経過した時点での新たな予測の表明が為された。小アジアの信者は天にてキリストの支配がはじまったという終末信仰を始めた[5]。キリスト教的な終末信仰が確立した。

キリスト教の終末観といった場合、ヨハネ黙示録を考証されることが多いが、新約聖書を歴史的な文書としてみる立場[6]からは、この黙示録は文学作品として扱われることがある。岩波書店の『新約聖書』(2004年)においては、新しい神支配の経綸を象徴的に解釈開示するキリスト教的黙示文学作品であるとされている。[7]
ナザレのイエスが語った終末観

ナザレのイエスが直接に語った終末観とは、マルコ福音書13:32にある「かの日ないし〔かの〕時刻については、誰も知らない。天にいるみ使いたちも、子も知らない。父のみが知っている」、という記述であるとされている[8]。なお、マルコ福音書に出てくる終末については、エルサレム神殿崩壊を世の終わりの出来事と理解する筆者の見方や古い注によって編集されており[9]、 不明瞭な記述となっている。世の終わりについて、ナザレのイエスは天のみ使いさえも計り知ることのできないほどの深遠な事態であるとしているのに対して、パウロは、自分が生きているうちに主の来臨の時はやってくるとしていた。テサロニケ第一の手紙が書かれてから40年ほどしてからヨハネ福音書が書かれた[注 3]。ヨハネ福音書[注 4]はイエスの終末観と共通の部分があると思われ、世の終わり・裁きの時という概念は明瞭になっていない。人々がイエスの啓示に対して下す判断が、その人の運命を決定するとされ、悪人を裁いて滅ぼすためではなく、救うために布教していることが記されている[11]ヨハネ福音書では、裁きはもう来ているとされていて、この世の支配者はすでに裁かれたともされている。[11]
仏教「阿毘達磨倶舎論」および「時輪タントラ」も参照

仏教における末法思想は、「この世の終わり」を意味する終末的思想と同意義と見る向きも多い。

大乗仏教では、釈迦仏入滅年代(ただし諸説あり一致しない)より数えて、正・像・末と三時に分け、その最後の時を末法の世という。これは厳密にいえば、「正しい法が隠れ行われなくなること」である。したがって、世の中の政情不安や天変地異などを含めたものを末法というものではなかった。

しかし、日本においては、平安時代後期に末法に突入するという目測と、鎌倉時代へ移り変わっていく不安感、当時の民衆の仏教への理解不足などが相まって、次第に、末法観念が終末論的に転化されていった。

浄土教では自力で悟ることが正法像法の時代よりも困難になる(一部では不可能とする)が、成仏するための阿弥陀仏(一部では末法の世にふさわしいものがあるとする)の力(一部では他力)を求め、念仏せよ」と説く。日蓮は、今が末法であるとして、他の教えを捨てて法華経に帰依するように説いた。なお、禅宗でも末法はあるが、曹洞宗の開祖・道元は『正法眼蔵随聞記』において末法思想を方便にすぎないとして否定している。.mw-parser-output .bquote cite{font-style:normal}

今は云く、この言ふことは、全く非なり。仏法に正像末を立つ事、しばらく一途の方便なり。


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