紫綬褒章
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綬の幅は当初1寸とされていたが、改正により36ミリメートルとなっている。旧黄綬褒章の綬は橙黄色で、瑞宝章のように逆三角形に折られていた。
飾版

既に褒章を授与されている者が、2度以上、同様の理由で褒章を授与されるときは、その都度、飾版(しょくはん、金属の板)を授与し、その褒章の綬に付加して標識とする(褒章条例3条1項)。また、この飾版(銀色)が5個以上に達したときは、5個ごとに別種の飾版(金色)と引き替えて授与される(同条2項)。褒章の授与に回数の制限はない。

飾版(銀)

飾版(金)

略綬
「褒章条例」の大正10年4月26日勅令第147号および「黄綬褒章臨時制定ノ件」の大正10年4月26日第148号による改正により、蝶型スティックピン式のものが制定されていたが、平成15年内閣府令により勲章と同様の円形のもの(ロゼット)に改められた。色は褒章の種類により紅・緑・黄・紫・藍・紺の6色とする。直径は7ミリメートル。

なお、褒章と同一または類似する商標については商標登録を受けることができない(商標法4条1項1号)。.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}改正前の制式による褒章の例(メトロポリタン美術館所蔵)紅綬褒章表面紅綬褒章裏面

褒章(平成15年改訂前)

平成15年改訂前の略綬

旧黄綬褒章

褒章の種類
紅綬褒章紅綬褒章の正章(右)と略綬(左)

紅綬褒章(こうじゅほうしょう)は、「自己ノ危難ヲ顧ミス人命ノ救助ニ尽力シタル者」[注釈 4]に授与される[注釈 5]

1882年(明治15年)、青森県の海岸で暴風波浪により難破した漁船乗組員を救助した工藤仁次郎が受章第1号である。戦後は年々受章者が減少していた。

2003年(平成15年)の栄典制度改正に伴い受章機会の拡大が図られ、2004年(平成16年)春の褒章では16年ぶりに紅綬褒章が3名に授与された。2005年(平成17年)春の褒章では落水車からの人命救助により15歳の少年に贈られた(未成年者で初の受章)。また同年秋の褒章では、JR福知山線脱線事故で救助活動に当たった日本スピンドル製造二次災害を防いだ主婦に贈られた。

2011年(平成23年)秋の褒章では、川で溺れていた男児を協力して救助した13歳の少年に贈られた(2020年現在、最年少の受章者)。

2023年(令和5年)秋の褒章では、特急列車が迫る踏切内に取り残された90代女性を救った女子大学生(20歳)に贈られた[8]
緑綬褒章緑綬褒章の正章(右)と略綬(左)

緑綬褒章(りょくじゅほうしょう)は「自ラ進デ社会ニ奉仕スル活動ニ従事シ徳行顕著ナル者」に授与される。「長年にわたり社会に奉仕する活動(ボランティア活動)に従事し、顕著な実績を挙げた方」に授与されると説明される[9]

1881年(明治14年)の創設時は「コ行卓絶ナル者又ハ實業ニ精勵シ衆民ノ模範タルヘキ者」に授与されると定められ、「コ行卓絶ナル者」は「孝子・順孫・節婦・義僕ノ類」と例示された。1894年(明治27年)、「孝子順孫節婦義僕ノ類ニシテコ行卓絶ナル者又ハ實業ニ精勵シ衆民ノ模範タルヘキ者」と改正された(明治27年勅令第1号)。

1882年(明治15年)、数十年にわたり母へ孝養を尽くした青森県の外崎専四郎が受章第1号である。1950年(昭和25年)12月25日の受章を最後に一旦途絶えた。これは1955年(昭和30年)の栄典制度改正で「實業ニ精勵シ―」の部分が新たな黄綬褒章として独立したため授与対象が狭まったこと、「孝子・順孫・節婦」の部分が家制度家長を否定し法の下の平等・両性の平等・個人の尊厳を唱える日本国憲法第14条同第24条の趣旨に合わないこと、「義僕」とあるが家事使用人を長期にわたって雇うような裕福な家庭は最早見当たらないこと、などの理由による。

そのため、2003年(平成15年)の栄典制度改正(平成14年改正)では受章機会・選考基準の見直しが図られ、褒章条例第1条中の緑綬褒章に関する部分が「自ラ進デ社会ニ奉仕スル活動ニ従事シ徳行顕著ナル者ニ賜フモノトス」と改められた(平成14年8月12日政令第278号)。これにより、社会福祉分野やボランティア活動などで顕著な実績のある個人等に授与することとなった。翌2004年(平成16年)春の褒章では、半世紀ぶりに緑綬褒章が26名に授与された。

2008年(平成20年)には芸能人では長年の受刑者更生支援等奉仕者活動を認められて杉良太郎(俳優)が、またエレキギターによる青少年情操教育活動を認められて寺内タケシ(ギタリスト)[10]がそれぞれ受章した。俳優など芸歴の長い芸能人は紫綬褒章の対象になることが多く、杉良太郎は翌2009年(平成21年)に紫綬褒章を授与された。
黄綬褒章黄綬褒章の正章(右)と略綬(左)

黄綬褒章(おうじゅほうしょう)は「業務ニ精励シ衆民ノ模範タルベキ者」に授与される。「農業、商業、工業等の業務に精励し、他の模範となるような技術や事績を有する方」に授与されると説明する[9]

1955年(昭和30年)、褒章条例の改正により紫綬褒章とともに制定された(昭和30年政令第7号)。同年には、多年にわたり水稲農作技術の向上に努力した北海道の天崎正太郎が受章第1号として授与された。以後、毎年500人から600人が受章している。2003年(平成15年)の栄典制度改正では、「第一線で業務に精励している者で、他の模範となるような技術や事績を有する者を対象とし、受章者数の増加を図る」こととされた。

2020年(令和2年)秋に的場文男騎手として初めて、2022年(令和4年)春に柴田善臣日本中央競馬会所属騎手として初めて、2024年(令和6年)春に宮下瞳が女性騎手として初めて受章しているが、これは競馬にかかわりその発展に努めることが「畜産業の振興」の一環とみなされたためである[11][12][13]


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