紫式部
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注釈^ 正確な没年は不明である。近年の研究では少なくとも寛仁3年(1019年)までは存命したとされる。その後の没年は、研究者ごとに様々な説が出されるがどれも確証はなく不明である[1]。(各説は「生没年」参照)
^ 正確な誕生年は不明である。近年の研究では天禄元年(970年)から天元元年(978年)の間に生まれたとされる。その間の正確な誕生年は、研究者ごとに様々な説が出されるがどれも確証はなく不明である[1]。(各説は「生没年」参照)
^ 研究者ごとにいくつか説もある。各説は「名称」「生没年」参照。
^ 律令制における「貴族」とは五位以上の者を指した。五位は、さらに4つに分かれ、上から、正五位上、正五位下、従五位上、従五位下。詳細は「律令制における位階」とその一覧表を参照。
^ 『紫式部日記』より。日本文学研究者の三田村雅子によれば、当初、仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合ったりして楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」という[6]
^ 意味は「夫が火葬により煙となった夜から塩釜をとても身近に思う」。「塩釜」は海藻を焼き塩を取ることで知られる地名で、現在の宮城県塩竈市
^ 一例として、「若紫」の帖で、光源氏が10歳の少女(*)を家に迎え「書」や「琴」など教え教養豊かに育て少女が成人し14歳の夜に突如男女の関係にしてしまう場面は(「」の帖)、文章にはその夜の描写・記述は一切ない。朝、枕元のすずり箱に置いてあった和歌『あやなくも隔てけるかな夜を重ね さすがに馴れし夜の衣を(*2)』のみが読者にその夜の出来事を知らせている。ちなみに少女は父親のように慕った相手から突然思いもしないことをされて心に負った傷は深く以後かなり長く光源氏を拒絶することになる[10]
(*)後の「紫の上」。(*2)今まで仲良くして来たが、なぜもっと早く一線を超えなかったのか、一線を超えた今はすばらしい関係になれた[10]
^ 一条天皇は源氏物語を女房に読ませそれを聞いて述べた言葉、『この人は日本紀(*)をこそ読みたるべけれ、まことに才あるべし』(作者は日本紀(*)を読んでいるはずだ、かなりの学者のようだ)[12]
(*)日本紀、漢文で書かれた6つの史書「六国史」を指す。「日本書紀」、「続日本紀」、「日本後紀」、「続日本後紀」、「日本文徳天皇実録」、「日本三代実録」。
^ 紫式部の父方の祖母と、宣孝の父方の祖父・藤原朝頼がともに藤原定方の子である。
^ なお、発表後にあった批判に対する反論と誤謬の訂正を加え、『紫式部伝― その生涯と『源氏物語』―』(法蔵館、2007年)に角田説は集大成されている。

出典^ a b c 三田村雅子『「100分de名著」ブックス 紫式部 源氏物語』(NHK出版、2015年12月25日発行)p.26。
^ .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}"紫式部". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2020年7月9日閲覧。
^ 堀内秀晃「紫式部諸説一覧 九 式部と呼ばれた理由」(阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』明治書院、1970年8月)pp. 348。
^ 荻生待也編著『日本人名関連用語大辞典』(遊子館、2008年7月1日)p,100
^ 大藤修『日本人の姓・名字・名前―人名に刻まれた歴史― 』 (吉川弘文館 、2012年9月1日)p,81-91
^ a b c 三田村雅子『「100分de名著」ブックス 紫式部 源氏物語』(NHK出版、2015年12月25日発行)
^ 『百科事典マイペディア』「紫式部」の項(平凡社2006年
^ 南波浩校注『紫式部集』 (岩波文庫、1973年10月16日)前書き
^ "紫式部". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2020年7月9日閲覧。
^ a b NHK出版 100分de名著『源氏物語』 第2章、三田村雅子 (2012/3/24)。
^ NHK出版「100分de名著」ブックス『源氏物語』P29?P30、三田村雅子。
^ NHK出版「100分de名著」ブックス『源氏物語』P29、三田村雅子。
^ 『紫式部日記 現代語訳付き』 (角川ソフィア文庫) 前書き。2010/8/25
^ 「(34)里居物憂い心、11月15日前後」p,205?。日本古典文学全集18「和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記」小学館
^ NHK出版「100分de名著」ブックス『源氏物語』P27?P28、三田村雅子。
^ 堀内秀晃「紫式部諸説一覧 二 惟規との前後関係」阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』(明治書院、1970年8月)pp. 338
^ 徳満澄雄「紫式部は鷹司殿倫子の女房であったか」(『語文研究』第62号、1986年)pp. 1-12
^ 美喜子, 藍 (1998). “紫式部と六条の宮・具平親王”. 甲子園短期大学紀要 16: 123?133. doi:10.24699/koshient.16.0_123. https://www.jstage.jst.go.jp/article/koshient/16/0/16_123/_article/-char/ja/. 
^ a b 角田文衞「紫式部の本名」『紫式部とその時代』(角川書店、1966年)。
^ 岡一男「紫式部の晩年の生活附説 紫式部の没年について 『平兼盛集』を新資料として」(『増訂 源氏物語の基礎的研究 紫式部の生涯と作品』東京堂出版1966年)pp. 143-170。
^ 萩谷朴「解説・作者について」(『紫式部日記全注釈』下巻、 角川書店、1973年8月)pp. 467-508 ISBN ISBN 978-4047610217
^ 『森本元子「西本願寺本兼盛集付載の佚名家集―その性格と作者」『古典文学論考 枕草子 和歌 日記』』新典社、1998年9月1日。 
^ 上原作和『紫式部伝-平安王朝百年を見つめた生涯』勉誠社、2023年10月20日、295-301頁。ISBN 978-4585390350。 
^ 堀内秀晃「紫式部諸説一覧 九 式部と呼ばれた理由」阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』明治書院、1970年8月)pp. 348。
^ 堀内秀晃「紫式部諸説一覧 10 藤式部が紫式部と呼ばれた理由」阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』(明治書院、1970年8月)pp. 348-350。
^ 上原作和「紫式部伝4-生い立ちI-幼名「もも」説の提唱」上原作和・編集『人物で読む源氏物語』「藤壺の宮」巻(勉誠出版2005年5月)pp. 317-319 ISBN 978-4-585-01144-6
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