素賀国造
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イハヰ神の名は同族の伊勢津彦の東遷先である武蔵国に多いイハヰ神・イハヒ神(磐井神社、伊波比神社)に通じるという見方がある[7]。
墓
上平川大塚古墳(かみひらかわおおつかこふん)静岡県菊川市上平川に存在した全長20mの前方後円墳で、削平前の調査では近年の盛り土とされるが、かつては朱に混じって三角縁神獣鏡含む銅鏡3面、勾玉、管玉各3点、鉄剣片などが出土した。4世紀後半の築造。『清水市史』の「国造の支配範囲想定図」では素賀国の古墳として大塚古墳を挙げている[6]。
上平川2号墳(かみひらかわにごうふん)静岡県菊川市上平川に存在した全長24mの前方後円墳で、埴輪が出土したとされる。
脚注[脚注の使い方]^ 「国造本紀 素賀国造条」『先代旧事本紀』巻第十。
^ a b 太田亮「素賀」『姓氏家系大辞典』第三巻、国民社、1943年、3002頁。
^ a b 下中真人「佐野郡」『静岡県の地名 日本歴史地名大系22』平凡社、2000年。
^ 菅野真道等「養老六年二月十六日条」『続日本紀』、797年。
^ 「第三章 和田岡古墳群と素賀国造 第三節 大和王権と素賀国造」『掛川市史』上巻、掛川市史編纂委員会、1997年、231-233頁。
^ a b 「第二篇 原始・古代の清水 第一章 いほはら文化の展開」『清水市史』第1巻、清水市史編さん委員会、1976年、157頁。
^ 宝賀寿男「一 畿内王権の出雲平定とその後」『古代氏族の研究O 出雲氏・土師氏 原出雲王国の盛衰』青垣出版、2020年、59、60頁。
関連項目
国造の一覧
久努国造
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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