素晴らしき日曜日
[Wikipedia|▼Menu]
東宝はスター主義の新東宝に対抗するため、組合主導で5本の監督主義作品を企画し、伊豆長岡温泉の旅館に合宿してシナリオを執筆した[5][6][7]

本作はその企画のうちの1本として企画されたが、黒澤は同じ企画作品の『銀嶺の果て』『四つの恋の物語』の脚本も書かなければならなかったため手が回らず、小学校の級友である植草圭之助と骨子について話し合い、植草に第1稿を任せた[7][8]1947年1月8日、撮影所近くの寮で黒澤とプロデューサーの本木荘二郎とともに第1稿の検討に入った[3][9]。それから10日間かけて、黒澤と植草は寮に泊り込みで決定稿を執筆した[9]。物語はD・W・グリフィス監督の無声映画『素晴らしい哉人生(英語版)』をヒントにしたものである[10]。「平凡で目立たない恋人」という設定に忠実な、スター的でない配役をするため、徴兵による長期ブランクから復帰したばかりの沼崎勲と、キャリア4年目の中北千枝子を起用した。いずれも世間的にはまだ無名の俳優であった[2]

東宝撮影所では本作を含めて4作品が同時に撮影に入ることになり、東宝従業員組合から、経費節約のためセットを使わずオールロケーションで撮影するように要求された黒澤は、本作をセミドキュメンタリー的な手法で作ることにした[8][9]。撮影は新宿上野動物園などで行われたが[3]、演技経験の少ない沼崎がロケ地の見物人の前で緊張して演技ができなくなり、本木が製作部に交渉したことで撮り残したシーン(日比谷公会堂、日比谷野外音楽堂など)をセット撮影に変更した[2][8]

ラストシーンでは、中北演じる昌子が観客(第四の壁)に向かって話しかけ拍手を呼びかける、という実験的演出が試みられた[2]。黒澤はこの演出で観客が拍手して映画に参加することを期待した。実際のシーンとなった黒澤案に対し、植草はこのあとに誰もいない舞台から拍手が聞こえ、何組もの主人公と同じ境遇の恋人たちが坐って拍手をしているという演出を主張したが、黒澤は自分の案を主張してゆずらなかった[11]。沼崎演じる雄造が『未完成交響曲』に合わせて指揮棒を振るシーンでは、沼崎が音痴で振り方がぎこちないので、黒澤と音楽担当の服部正は指揮棒の振り方を教えるのに苦労したという[11][12]
評価

第21回キネマ旬報ベスト・テンでは6位に選ばれた[13]。第2回毎日映画コンクールでは黒澤が監督賞、植草が脚本賞を受賞した[14]。しかし、黒澤は本作を失敗作と考えており[15]、「僕はこの作で監督賞をもらったりしたんだけれども、どうもそれほど気に入ってないんだな。仕事としては」と語っている[16]。公開当時の批評は概ね好評だが、観客に向かって拍手を求める演出は賛否が分かれた[15]。黒澤自身も「日本の観客は、なかなか拍手をしてくれないから、うまくゆかなかった」と述べている[11]

1989年文藝春秋が発表した「大アンケートによる日本映画ベスト150」では80位、1999年キネマ旬報が発表した「オールタイム・ベスト100 日本映画編」では82位[17]に選ばれた。
その他

暮しの手帖』にある同名の読者投稿コーナーは無関係。こちらは「すばらしき―」と前半が平仮名表記だった。

脚注
注釈^ 2020年代の貨幣価値に換算すると約3,500円に相当する。

出典^ 都築 2010, pp. 140, 142.
^ a b c d 佐藤 2002, pp. 82?83.
^ a b c d 「製作メモランダ―『素晴らしき日曜日』」(全集2 1987, pp. 386?387)
^ a b 「スタッフ一覧表」(全集2 1987, pp. 390?391)
^ 都築 2010, p. 139.
^ 浜野保樹「解説・黒澤明の形成―東宝争議」(大系1 2009, pp. 695?696)
^ a b 黒澤 1990, pp. 280?281.
^ a b c 浜野保樹「解説・黒澤明の形成―『素晴らしき日曜日』」(大系1 2009, pp. 699?700)
^ a b c 佐藤 2002, pp. 80?81.
^ 佐藤 2002, p. 76.
^ a b c 黒澤 1990, pp. 284?285.


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:38 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef