主役には当初、勝野洋と発表されていた[8]。朝加真由美は当時、テレビバラエティのアシスタントでニコニコ笑うだけのイメージだったが[15]、映画初出演・初主演でヌードを披露して評判を呼び[4]、ポルノ映画のオファーが殺到した[4]。痴漢される女の一人として花柳幻舟が出演し、花柳が映画公開年の1980年に傷害事件を起こし、たまたま花柳の愛人・羽仁五郎も本作に出演していたことからタイムリーな映画の宣伝になった[24]。その他のキャスティングの詳細は分からないが、中島ゆたか、橘麻紀、山内恵美子は東映の専属女優で、今井健二は元東映俳優。その他、小松方正、安部徹、田中小実昌など、横山が所属した東映映画に馴染みの役者が多い。 劇伴は一柳慧だが、劇中歌として、1977年10月にリリースされたムーンライダーズのアルバム『イスタンブール・マンボ』から「週末の恋人」と「女友達(悲しきセクレタリー)」が使用されている。 1978年1月から製作に入り[28]、1977年夏から撮影に取り掛かり[29]、少数精鋭のスタッフで東京都内と長崎県軍艦島でオール・ロケーション[28]。1978年4月に映画は完成した[6][29]。 映画は完成はしたものの、痴漢を題材にした作品内容から[30]、配給を持ち込んだ東宝と松竹から「これじゃ商売にならんよ」[26]、ATGにも「ウチらしくない」と断られ[26]、配給の引き受け手がなく、日本の映画界から無視され[21][26][31]、そのままお蔵入り[6][32]。この段階では日本で『純』を観たのは200人だけだったという[26]。大手の配給ルートに乗らなければ、自主上映以外に道はなく、上映はホールや公民館などになり、強力な支援グループがバックに付いているなら別だが、黒字になることはほぼなかった[33]。横山は「商品価値を下げたくない」と自主上映に逃げず[25]、メジャー映画会社の配給ルートに乗るまで粘り強くパブリシティが利くのを待った[25]。ATGの試写を観た川喜多かしこが「日本ではダメでもフランス人には受けるかも」と横山にカンヌ国際映画祭批評家週間への出品を勧め[26]、川喜多の支援により出品が成され[3]、100本を越える作品の審査で上映される7本の1本に選出[26]、1979年の同映画祭の批評家週間オープニング上映された[26]。同年のカンヌ映画祭に出品された日本映画は他に『エーゲ海に捧ぐ』『地獄』『ザ・ウーマン
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