納谷悟郎
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その後は『白雪姫』『ピーターパン』『シンデレラ』など児童劇の舞台へ立ち、全国を巡演していた[5]

1952年、23歳の時に、初めてNHKのラジオ『青少年の時間』に出演[5][9]。当時、同番組では東童の先輩が皆レギュラーで出演しており、研究生だった納谷も参加するようになった[9]。本人いわく、最初は「不良少年かなんかの役」で出演[9]。1度きりの出番のはずが、その不良少年が更生していくという話になったため、これが初のレギュラー出演となった[9]

その後、民放のラジオ局への出演回数が急激に増えはじめ、宮津が開局したばかりの日本テレビの顧問に就任してからは、他の東童のメンバーと共に劇団ぐるみで同局へ出演する機会が多くなった[5]。この頃、日本テレビで大道具係だった熊倉一雄と知り合い、意気投合したことで交友関係が生まれたという[5]

1955年3月、児童劇に限界を感じたことから東童を退団し、同年4月に劇団「稲の会」設立に参画[9][14][19][22]。昔から笑いのある芝居が好きだったため、この頃から喜劇を志望するようになったという[9]

稲の会では、最初は夏目漱石の『坊つちやん』、ニコライ・ゴーゴリの『』、小林多喜二原作の『蟹工船』などを上演し、都内の労働組合員にチケットを大量に買ってもらい成功を収めるなどしていた[5][9]。その後は、劇団内で納谷のように喜劇などの軽い芝居をやりたいという人物と左翼路線の芝居をしたい人物に分かれたことで、お互いのしたい芝居を交互にするようになったが、約2年後に金の持ち逃げ事件が発生[5][9]。仲間内で思想が分かれ「やっぱり、ぼくの趣味に合わない」と感じていたこともあり、劇団も解散[5][9]1957年12月に劇団現代劇場に所属した[12][14][22][9]

1957年、交友のあった熊倉一雄の誘いで『ヒッチコック劇場』の吹き替えに出演[4][5][9]。熊倉は番組のホストであるアルフレッド・ヒッチコックの吹き替えをしており、キャスティングは、熊倉が所属するテアトル・エコーのメンバーがユニットのような形で出演する中で、たまに外部からゲストを呼ぶようなシステムで行っていた。これにより、納谷はゲストとして何回か呼ばれることとなる。そして、熊倉から「おまえ、入れよ」と誘われたことで、1959年1月にテアトル・エコーへ所属した[22][3][23][9]

テアトル・エコー入団時、テレビ放映の吹き替え新劇俳優が起用されることが多く、納谷もこうした中で「アテレコ」に多用され、30歳少し前くらいに声優としての活動を開始した[13][24]。最初のアテレコ作品は、テレビ映画『地方検事』の鑑識官役[13][14]テレビドラマにも出演したが、拘束日数の長さを事務所が嫌がった結果、自然と声の仕事が増えたといい、後に「声の吹き替えのできる俳優が少なかったので、とにかく忙しかった。現場であわせるのは同じ顔ばかりだった」と語っている[24]。また、現場にすれば「メイクも衣装も不要」で手軽な「声の出演」に対する扱いは悪く、当時のギャランティーは通常の70%のレートで不本意だったというが、忙しかったので金は稼げたという[24]
闘病・死去

1985年3月、胃潰瘍で入院し胃腸を半分切除する手術を行う[25]1990年代には胃癌の摘出手術を行い、それ以降は体力が低下し声も出にくくなったという[6][26]

2008年4月、舞台公演中に視覚の違和感を覚え、歩行など生活にも支障が出たため検査を受けた結果、脳梗塞が判明。完治が困難との診断を機に、舞台『ルームサービス』で俳優業を引退する[6][18]。同時期に都内から千葉県千葉市に転居し[11]、以降は妻である火野の助力を得て声優業のみ継続していた[18]。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキニュースに関連記事があります。

訃報 納谷悟朗氏 - 声優 『ルパン三世』銭形警部役など

2013年3月5日慢性呼吸不全のため千葉市内の自宅で死去[11]。83歳没。通夜及び告別式は近親者のみで行われ、訃報は3月11日に公表された[7]。遺作は、2012年5月28日に収録した『インセプション』の吹き替えとなった[6][7]

2013年5月21日には恵比寿・エコー劇場でお別れの会が行われ、声優仲間やファンおよそ300人が訪れた[27]
特色

テレビ草創期からアニメーション吹き替えナレーションなど幅広く活動。テアトル・エコーでは看板俳優として多くの舞台に出演した[18]

低音の渋い声質が持ち味であり[7]、代表作である『ルパン三世』の銭形警部役など独特なだみ声でも人気を集めた[28]。元々の地声は濁りのない声質であるが、銭形役について「二枚目の声で演じていたら現在まで持たなかっただろう」と語っている。

役柄では、悪役から重厚な脇役[9]、屈強な男や『仮面ライダー』のショッカー首領のような悪の組織のボス、威厳ある役を演じることが多い。


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