納谷悟朗
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ただし、「全員の卒業後について責任が持てない」「せっかく教えても辞めてしまったりすると何にもならない」との考えから声優学校の講師をすることは無かった[19]

近年の若手声優に対しては「自分の声に酔っちゃう人が多い」と述べており、ナレーターに関しては「ナレーションはあくまでも映像を補足し、視聴者を助ける役割」との考えから「映像と一緒になって盛り上がる人が多い。それを指摘するディレクターもミキサーもいなくなっている」と苦言を呈していた[32]。また、声優界の将来に対しては「ただ声を当てればいいと考えている声優が多すぎる。目の前に客がいると思っていない」と憂う発言をしていた[26]。一方で「偉そうに助言する気はない」と語ったこともあり、「たとえ言っても聞かないと思うし、昔の自分もそうだった。好きなようにやるのが役者だし、本人が思い感じるまま、終わりまで好きなようにやってほしい」という思いを述べている[18]
仮面ライダーシリーズ

仮面ライダー』のショッカー首領役は、非情さと威厳を併せ持つ「怖くて強くて絶対だ」とのイメージで演じた[23]。後年はスペシャルゲストのような形での作品参加が増え、「『大首領の声で』と言われる仕事も多くなり、ありがたいことだと思ってやっています」と語っている[23]

ショッカー首領の台詞は大抵抜き録りで、他の役者たちの昼休み前に行い、一言二言で終わることが多かった。怪人役の他の同僚が数本まとめ録りで長時間拘束されているなか、納谷だけさっさと帰ってしまうので、「やっぱり首領は違うよな」とやっかみ半分の声がよく挙がったという[24]

『仮面ライダー』以後も仮面ライダーシリーズで悪の首領役を多く演じた[3]。『仮面ライダーアマゾン』では自ら望んでナレーションを務めた[3]。また、『仮面ライダー』のパロディ作品である『仮面ノリダー』にもナレーションでゲスト出演したことがある。
ルパン三世

ルパン三世』ではテレビシリーズの第1作から2010年に放送された『ルパン三世 the Last Job』までの39年間、銭形警部の声を担当していた。これは50年間に渡り次元大介の声を担当していた小林清志に次ぐ長さであった。

おおすみ正秋は『ルパン三世 パイロットフィルム』のキャスティングの際、「(納谷は)演ってもらう人たちの中でも一番ハードボイルドな雰囲気が出せる人でね。クールな五右ェ門の役以外は考えられなかった」と石川五ェ門役にキャスティングしたが、納谷は台詞が少ないからと自ら銭形役を希望して変更になったという[35]

納谷は銭形を「途中でああいうキャラクターをつくったんですよね」と語ったことがある[20]。本来の銭形は絵柄をはじめ二枚目の要素が強かったが、登場人物が次元を始めクールなキャラばかりなことに懸念を抱いたことからスタッフや原作者のモンキー・パンチと話し合い、三枚目の要素が強いアニメ独自の銭形のキャラクターが誕生したいう。

銭形を演じる際は、家庭などの背景を考えると「動きが難しくなる」ことから、設定などは引きずらず、とにかく「銭形本人だけ」を演じることを心掛けていたという。

納谷は銭形について「ルパンを追うことに全てをかける一途さが好きだ」と述べており、「『逮捕だ!』と言うのは口先だけで、ルパンとの追いかけっこを楽しんでるんじゃないか」「この純粋(?)さが、人生に色々悩みを持っている僕には、とても羨ましいんだよ」と語っている[36]

長年銭形を担当していたこともあり、晩年には「銭形はいつまでも歳を取らないけど、僕は年々歳を取っていくので、合わせるのが少し辛いですね」と語っていた。なお、銭形の声は2011年放送の『ルパン三世 血の刻印 ?永遠のMermaid?』から山寺宏一が担当となったが[37]、今後も機会があれば銭形役を演じたいとの旨を語っていた[38]

初代ルパン三世役だった山田康雄とは、所属するテアトル・エコーのほぼ同期であり親交があった。『ルパン三世』以外にも多くの作品で共演していため、ルパンと銭形のやりとりは「ごく自然に呼吸が合った」という[18]。若い頃は千葉県上総湊にある海の家を一緒に借りて、アフレコが終わるとその家でいろいろ遊んでいたこともあるという[39]。そのため「互いに老けてヨボヨボになってもルパンと銭形の追いかけっこを続けよう」とよく語り合ったといい[18]1995年に山田が死去した際、葬儀の弔辞を担当した納谷は山田の早世を惜しみ、遺影に銭形の口調で「おい、ルパン。これから俺は誰を追い続ければいいんだ」「お前が死んだら俺は誰を追いかけりゃいいんだ」などと涙ながらに呼びかけた。

山田からルパン役を引き継いだ栗田貫一のこともサポートしていた。栗田は初収録の際、納谷から「お前でいいんだ。やってくれ」と温かい言葉をかけられたおかげで収録に臨めたと後に語っている[40][41]。納谷は栗田に対し、「ものまね出身の方だし、長い台詞などお芝居になるとちょっと辛い部分もある」としつつも、「今までの作品を滅茶苦茶に見て、ヤスベエ(山田の愛称)の持つ細かいニュアンスを再現している」「こんなに熱心に一生懸命やるのにはびっくりしました」と評しており、栗田が初登板した翌年の1996年には「ヤスベエとは一味また違う、やり取りが生まれてきている感じです」「もう感傷には浸っていられない。新たなルパン像を追って頑張りたいと思います」とコメントしていた[42]。また、栗田と小林が収録中の出来事[注釈 2]でもめた際は納谷が仲裁に入り[注釈 3]、栗田が作品の主演であるという責任感を感じさせるきっかけを作ったのも納谷だった[44]。その後、納谷が亡くなり行われた「お別れの会」で、栗田はルパンの口調で「とっつあん、さみしいねぇ、ずっと追いかけてもらいたかったぜ」と惜別の言葉を送っている[45]


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