1872年(明治5年)に武家地を整理して麹町紀尾井町と命名。1911年(明治44年)に紀尾井町となる。1934年(昭和9年)に区画整理により北側の一部を麹町五・六丁目に編入。かつては番町と並ぶ山の手の一つとして緑多き優雅な佇まいの住宅街であった[注釈 1]。町内に居住した有名人としては、大久保利通の孫にあたる大久保利春(ロッキード事件の時の丸紅専務)、松田トシ(声楽家、自邸で歌唱教室を開く)、尾上松緑 (2代目)(歌舞伎俳優。「紀尾井町」の掛け声で呼ばれた)、幸田延(幸田露伴の妹、日本の女流バイオリニストの草分け)、高島徳右衛門(実業家・易学家の高島嘉右衛門の弟、里見ク『多情仏心』の主人公のモデル)、小林蹴月(作家・俳人)らがいた。政治家の利用で知られた料亭・福田家もここに立地する。1975年以降は顕著なまでにオフィスビルが目立つようになり、前述のホテル群、レストラン、更には上智大学の拡大、企業の本社ビルや紀尾井ホール、議員宿舎が拡大して一般住宅地は縮小し、今日の姿となった。 地名はこの地にかつてあった紀州徳川家中屋敷、尾張徳川家中屋敷、彦根井伊家中屋敷に由来しており(それぞれ紀州家、尾張家、井伊家と呼ばれた)、各家の文字を1文字ずつとって町名とした。 紀州徳川家の中屋敷跡は現在の東京ガーデンテラス紀尾井町・清水谷公園、尾張徳川家の屋敷跡は現在の上智大学、井伊家の屋敷跡は現在のホテルニューオータニ付近にそれぞれあたっている。 2020年(令和2年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 町丁世帯数人口 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[5]。 番地小学校中学校
地名の由来
世帯数と人口
紀尾井町289世帯508人
小・中学校の学区
全域千代田区立番町小学校千代田区立麹町中学校
千代田区立神田一橋中学校
交通
鉄道
東京地下鉄 永田町駅(○有楽町線、○半蔵門線、○南北線) - 出入口が設けられている。(所在地:永田町)
バス
都営バス橋63 平河町二丁目(小滝橋車庫前行) - 新橋駅前行は平河町に設けられている。
道路
国道246号(青山通り)
Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef