紀元前16世紀
テッサリアのイオルコス、ギリシャ中部のオルコメノス、アルゴス平野のミケーネ・ティリンス・ミデア、ペロポネス南西部のピュロスが重要な遺跡。
ドイツ中央部ザーレランで出土した世界最古の天文盤ネブラ・ディスクが作成された。
中央ヨーロッパの青銅器時代のウーニェチツェ文化の末期の作例とされる。
スコットランド沖合ヘブリディーズ諸島のサウス・ウイスト島クレイド・ハラン(英語版)のミイラが埋葬される( - 紀元前1260年頃)。
グレートブリテン島圏内で出土した唯一のミイラで、人為的に複合人体として合成したものであった。
アンドロノヴォ文化に属すカザフスタン北部コスタナイ地方リサコフスクの墳墓につがいの馬が葬られる。
紀元前1600年頃 - 紀元前1200年頃
ビブロスのオベリスク神殿(英語版)が建てられる。
紀元前1590年代
紀元前1590年頃
ヒッタイト王ラバルナ1世が死去、ハットゥシリ1世が即位( - 紀元前1540年頃)。
ハットゥシャに遷都し、ヤムハドやアルザワを攻撃し、ヒッタイトの領土を拡大。
紀元前1580年代
紀元前1582年/1581年
伝説的なギリシアのデウカリオンの洪水が起きたとされる。
この記録はエーゲ海のパロス島出土の大理石の碑文「パロスの年代記(英語版)」にある。この碑文は紀元前1582年/1581年から紀元前264年/263年に至る記事を列挙したもの。
紀元前1570年代
紀元前1574年頃 - 上エジプトのセケンエンラーが反乱を起こす。
エジプト第15王朝(大ヒクソス)に反乱したセケンエンラーのテーベ政権は第17王朝と呼ばれる。
この事績は後代の『アポフィスとセケンエンラーの争い』と呼ばれるテクストにまとめられる。
紀元前1573年頃 - セケンエンラーの死去後、息子のカーメスが反乱を継続し領土を拡大。
紀元前1570年頃 - 第17王朝のカーメス死去。弟のイアフメス1世がテーベの支配者となる。
紀元前1560年代
紀元前1560年頃 - エジプト第17王朝が、ヒクソス系第15王朝の都アヴァリスを陥落させる。
第15王朝の王カムディはエジプトから撤退しパレスチナのシャルヘンに退去。
エジプト第15王朝に従属していた第16王朝(小ヒクソス)もこの時期までに崩壊する。
イアフメス1世がエジプトを統一。第18王朝の成立(第17王朝と第18王朝は血族)。
テーベが都となり、この地の地方神であったアメンがかつての国家神ラーと習合し、アメン・ラー神として信仰される。
紀元前1550年代
紀元前1551年頃 - エジプトでアメンヘテプ1世が即位。カルナック神殿の造営が始まる。
紀元前1550年頃
ミノア文明の最盛期(新宮殿時代(中期青銅器時代(土器編年LMIA)))。
ミロス島のフュラコピ、サントリーニ島のアクロティリ、キュティラ島のカストリ、ロードス島のトリアダ、イオニアのミレトスまで勢力拡大。
「アガメムノンのマスク(アテネ国立考古学博物館蔵)」が作られる( - 紀元前1500年頃)。
このマスクは金でできた葬儀用のものであり、ミケーネの城壁内の円形墓群Aの5号墓に埋葬されていた遺体の顔の上に置かれていた。
紀元前1540年代
紀元前1540年頃 - ヒッタイト王ハットゥシリ1世が死去し、孫のムルシリ1世が即位。
在位中にムルシリ1世はハルペ(現アレッポ)を中心としたアムル人国家ヤムハドを滅ぼす。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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