紀元前12世紀
モーセの後継者ヨシュアがヨルダン川を渡りカナン地方に侵入。
イェリコの戦いでイェリコを占領、ヤビン率いる反イスラエル同盟を倒しハツォルを聖絶する。
ヨシュアに続くこの時代ヘブライ人の士師デボラ・ギデオン・サムソンらが活躍する。
ヘブライ人は地中海東岸の先住民カナン人、モアブ人、アンモン人、ミデヤン人、ペリシテ人などと抗争を続ける。
中央ヨーロッパは青銅器時代後期(骨壺墓地文化(ウルネンフェルト文化)・ハルシュタット文化A期)。
ハルシュタットでは岩塩が採掘され、中央ヨーロッパ各地に通じる「塩の道」が開発される。
西北インドへ進出してきたアーリヤ人達が定着する。
この地でアーリア人はインド最古の文献である『リグ・ヴェーダ』を編纂し始めた(前期ヴェーダ時代)。
パンジャーブを舞台とした十王戦争でバラタ族・トリツ族がプル族ら十部族の王に勝利する。
遊牧民族の葷粥が周の古公亶父(周の文王の祖父・周の武王の曾祖父)を攻撃。
そのため古公亶父は都の?を去り岐山県と扶風県にまたがる周原(周原遺跡)に本拠地を移す。
北アメリカで先史プエブロ文化が展開。
メソアメリカではオルメカ文化のサン・ロレンソの繁栄続く(サン・ロレンソ相 - 紀元前900年頃)。
アンデス高地ではチャビン・デ・ワンタル遺跡を代表とするチャビン文化が成立する( - 紀元前200年頃)。
紀元前1190年代
紀元前1195年頃 - 地中海東岸の諸都市が「海の民」に破壊される。
これらの都市にはウガリット・カデシュ・アララハ・カトナ・エマル・アシュケロン・ハツォルが含まれる。
紀元前1194年 - トロイア戦争の始まり(伝承に基づくエラトステネスの計算による)。
紀元前1192年頃 - 殷の武丁が死去(紀元前1250年頃 - (夏商周年表プロジェクトによる))。
紀元前1190年頃
ヒッタイト王国の都ハットゥシャが陥落し統治機構は崩壊、同国は滅亡する。
最後のヒッタイト王シュッピルリウマ2世を称えるニシャンタシュ(ドイツ語版)碑文が陥落直前に作られるが、王の記録はこれで途絶える。
カルケミシュやタバル(英語版)ではヒッタイト残存勢力が再編成され(シロ・ヒッタイト国家群(英語版))、リュディア王国もその流れを汲む。
トフマ川流域のメリド(英語版)を中心にルウィ人系のカンマヌ王国が成立、アルスランテぺ(Arslantepe)遺跡がその地に比定されている。
その後アナトリア中央部にはフリギアが進出し、ゴルディオンを中心として栄える。
後期ミケーネ文明(後期ヘラディック期III B)の終焉。
ミケーネ・ティリンス・ピュロス・ミデアの諸宮殿が崩壊する。
続くヘラディック期III Cには集落は激減。線文字Bの記録も途絶える。
紀元前1180年代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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