また、国威高揚の機会と、国力の対外的誇示の機会でもある国際的イベントもこの年に合わせて開催しようと日本政府により計画されていた。それは「オリンピック」や「万国博覧会」を日本に誘致し開催しようというもので、実際に大規模なイベントの開催が正式に決定していた。
第12回夏季オリンピック東京大会
第5回冬季オリンピック札幌大会
紀元2600年記念日本万国博覧会
だがこれらは、1937年(昭和12年)に始まった日中戦争の長期化に伴い、五輪は中止、万博は延期されることになった[8]。しかし、東亜競技大会や東京の勝鬨橋のように、この一大イベントに合わせて開催された大会や造られた建造物もいくつか存在する。
神宮参拝の推奨富士山頂、富士山本宮浅間大社奥宮の石燈籠に刻まれた讃紀元二千六百年歌。近衛文麿書。
当時は資源不足の統制下において軍事輸送を最優先する観点から、「ぜいたくは敵だ」・「遊楽旅行廃止」・「行楽輸送で大事な輸送を妨げるな」といったスローガンが駅に張られるなど、観光旅行の自粛を政府は国民に呼びかけていたが、皇室に関係する神社の明治神宮・橿原神宮・伊勢神宮などへの参拝は例外とされ、むしろ割引乗車券を販売するなど参拝を推奨していた。
国民は長く旅行を遠慮していたこともあって、大手を振ってこれらの神社へ出かけ、1940年(昭和15年)の橿原神宮参拝者は約1000万人、伊勢神宮は約800万人を数えた。また、伊勢神宮・橿原神宮を沿線にもっていた大阪電気軌道・参宮急行電鉄・関西急行電鉄(大軌・参急・関急電、現在の近畿日本鉄道(近鉄)の前身)や大阪鉄道(大鉄、現在の近鉄南大阪線など)・奈良電気鉄道(奈良電、現在の近鉄京都線)といった私鉄会社は、この輸送に対処すべく臨時列車を多く設定し、国鉄も同様に旅客輸送に努めた。 逓信省(現在の日本郵政)は紀元二千六百年を記念する記念切手を発行している。紀元節の2月11日に2銭と10銭、式典が開催された11月10日に4銭と20銭の各額面の記念切手が発売された。いずれの図案も日本書紀に関する題材で、2銭は金鵄、4銭は高千穂、10銭は鮎と厳瓶(あゆといつべ)、20銭は橿原神宮である。また満洲国も「日本紀元二千六百年紀念」の記念切手2種を発行している。
記念切手
金鵄
高千穂
鮎と厳瓶、右側に八紘一宇の文字がある
橿原神宮
張景恵の書が図案の満洲国2分記念切手
満洲国4分記念切手
記念出版
佐佐木信綱 編『列聖珠藻』紀元二千六百年奉祝會、1940年11月11日。doi:10.11501/8799801
辻善之助『聖徳餘光』紀元二千六百年奉祝會、1940年11月11日。doi:10.11501/3440655