戦後昭和の大合併により、相楽郡でも合併が検討された。1949年2月、京都府自治制度調査委員会によって出された町村合併の試案によると、相楽郡の合併の組み合わせはいずれも新制中学校の区域に基づいたものであった[6]。相楽郡北西部では精華中学校の区域である川西村・山田荘村・相楽村の3村の合併が検討された[6]。最終的に相楽村は木津町との合併を決定し、川西村・山田荘村の2村合併となったが、ともに精華中学校を運営している仲間の村々ということが強く意識され、1951年4月、精華中学校の名を由来とする精華村が誕生することとなった[1]。(精華中学校の名称は戦前の精華高等小学校に由来している[7]。精華高等小学校の「精華」は、1890年(明治23年)10月30日に発布された教育勅語の「国体の精華」(日本の国の最も美しい美点)という一節からとられたものである[1]。詳細は精華町立精華中学校を参照。)
1951年の合併の際に町制施行の希望があったが、合併が短時日のうちに進められたことにより実現されなかった。その後も風水害の復旧工事などもあり、町制施行は見送られたが、1953年に町村合併促進法が出され、精華村は町制施行の機運をより高めた。1954年7月、新町村建設計画に基づく町制実施の基本方針が立てられることになり、翌1955年2月10日に区長会で町制実施の計画が明確に出され、2月23日には村議会全会一致で可決、町制施行促進委員会が設けられ、府会の議決を経て、4月1日に町制施行し、現在に至る。
昭和
1931年(昭和6年)10月1日 - 狛田村・祝園村・稲田村の3村が合併して川西村成立。
1951年(昭和26年)4月1日 - 山田荘村と川西村が合併して、精華村成立[8]。
1955年(昭和30年)4月1日 - 町制施行。人口9452人(1955年国勢調査)
1968年(昭和43年) - 「こどもを守る町」を宣言する。[9]
1971年(昭和46年)10月 - 町章を制定する。[10]
1977年(昭和52年)1月20日 - 電話市外局番を077484から07749-4へ変更(山田、柘榴、乾谷は07747で変更なし)
1987年(昭和62年)12月 - 精華町非核・平和都市宣言を宣言する。[9]
現代
平成
1995年(平成7年)1月1日 - 電話市外局番を0774へ統一。
2012年(平成24年)7月10日 - 京都府内で初めて、全小中学校にドライミストの発生装置を取り付けた[11]。
行政
町長
町長:杉浦正省(2019年10月24日就任、1期目)
政治
町議会
精華町議会 定数:18人[12]
衆議院
任期:2021年(令和3年)10月31日 - 2025年(令和7年)10月30日(「第49回衆議院議員総選挙」参照)
選挙区議員名党派名当選回数備考
京都府第6区(宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、木津川市、久世郡、綴喜郡、相楽郡)山井和則立憲民主党8選挙区
国家機関
防衛省
自衛隊
陸上自衛隊 祝園分屯地
施設国立国会図書館関西館
警察
木津警察署(本署は木津川市)
祝園交番[13](精華町北稲八間甲斐ノ元15-3)
光台交番[13](精華町光台7丁目1-6)
消防
本部
精華町消防本部
消防署